記事「シルクロード」 の 検索結果 378 件
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5-5)草原と峠越え(青海省へ)8月13日朝、僧侶の案内で、ラプラン寺の内部を拝観したあと、甘粛省の夏河県から、青海省の同仁県に向かう。この省境越えには、3500メートル級の峠を二つ越える。峠と峠の間にはチベット風の草原が広がる。..
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5-4)ラプラン寺(夏河県)8月12日午後。合作から夏河に向かう。夏河に着いて、小高い丘から、ラプラン寺を眺望。緑の斜面には黄色や紫の高山植物が咲き乱れ、ピックニック気分でくつろぐ。谷川では、羊の毛を洗う人々に出会った。のんび..
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5-3)草原のチベット寺院(合作市)8月12日(水)標高2900メートルの草原に、ぽっかりと浮かぶ、写真のような8階建ての塔。なぜこんな所に、こんな建物が突然出現したのか、眼を疑った。合作市郊外のミラレパ・ラカンは、そんなチベット寺院..
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5-2)中国のイスラム教徒・回族(臨化市)白塔山に登ったあと、バスは南の臨夏に向けて出発。黄土高原の丘陵と、棚田風の畑が広がる。ジャガイモや、百合根が栽培されているという。途中、高速道路を下りたあたりから、回族の居住地区に入る。回族はイスラ..
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5-1)異民族との接点(蘭州市)2009年8月10日(月)朝、成田に出掛ける時は、大雨。成田エクスプレスの特急券を買ってあったが、東京駅に着いたら、運休とのこと、急いで上野に出て、京成ライナーで成田に向う。窓に降り注ぐ滝のような雨..
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4-8)兵馬俑(始皇帝墓の埴輪)西安の兵馬俑(=兵や馬の埴輪)については、多くの書物で飽きるほど紹介されているので、その素晴らしさについても、あえてここで述べるまでもあるまい。秦の始皇帝が、死後の自分を守らせるために、生前から作り..
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4-7)華清地(玄宗と楊貴妃)楊貴妃はその玄宗皇帝の年老いてからの愛人である。735年、楊玉環は、玄宗と武惠妃の子、寿王・李瑁の妃となった。しかし740年、彼女は玄宗に見初められ、出家して女道士となり、「温泉宮」に住むことになっ..
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4-6)乾稜と永泰公主の墓(則天武后と情けない男達)大学からの遠足で、西安郊外にある、乾稜を訪ねた。乾陵は、夫であった高宗の陵墓に、則天武后が合葬されたもので、二人の皇帝が一緒に葬られているのは珍しい。山の稜線に作られた石の参道には、高宗の葬儀に参列..
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4―5)興慶宮と阿倍仲麻呂百人一首で有名な「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という阿倍仲麻呂の歌は、「唐に向かう船上より月を眺めて、三笠山にのぼる月を思い浮かべた」と解釈するのが自然だが、興慶宮公..
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4-4)明の城壁と城門(長安と平安京)長安は、日本の平城京(奈良)や、平安京(京都)の手本になった町だが、さすが世界帝国の首都。京都や奈良とはスケールが違う。隋の文帝によって計画され、唐の玄宗皇帝の時代に最盛期を迎えたこの町の面積は、京..
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4-3)シルクロードと南海航路(イスラムの脅威)中国から印度への道は、シルクロードだけではなかった。三蔵法師玄奘がインドから帰国の旅に出るとき、北インドのハルシャ王(=戒日王)は、三蔵法師が南海航路を選ぶなら、使臣を同行させようと申し出たが、三蔵..
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4-2)三蔵法師と大慈恩寺(大雁塔と曲江春曉園)28歳の夏、長安からインドを目指して、シルクロードへと一人で旅立った三蔵法師は、パスポートも持たない密出国者であった。しかし、46歳でインドから帰る時には、太宗・李世民によって、凱旋将軍さながらの待..