記事「シルクロード」 の 検索結果 379 件
-
4-2)三蔵法師と大慈恩寺(大雁塔と曲江春曉園)28歳の夏、長安からインドを目指して、シルクロードへと一人で旅立った三蔵法師は、パスポートも持たない密出国者であった。しかし、46歳でインドから帰る時には、太宗・李世民によって、凱旋将軍さながらの待..
-
4―1)日本語学科の学生(西安外語学院)昨年(1998年)の四川大学留学で、「勉強半分、観光半分の生活」に味を占めて、今年も中国語の夏期研修プログラムに参加することにした。場所は成都盆地の北、唐の都長安のあった、現在の西安。研修プログラム..
-
3-8)道教と青城山都江堰から西へ約15キロ、成都平野の西の端にある、海抜1600メートルほどの山が、道教発祥の地といわれる、青城山である。後漢の末期、張陵が五斗米道の布教を始めた場所だという。五斗米道とは、黄巾の乱で..
-
3-7) 峨眉山と門前町楽山観光を終えて、平野部を西へ30キロほど走ると、峨眉山の麓にある報国寺に着く。報国寺は、16世紀に建てられた臨済宗の禅寺で、峨眉山第一の寺。我々一行は、この報国寺の門前町で2泊する事になっていた..
-
3-6) 三川合流と楽山大仏成都から南へ170キロ、大仏で有名な楽山がある。都江堰を出た岷江の本流は、ここで大渡河と青衣江と言う二つの河と合流する。川は幾つあっても、流れがどんなに激しくても、それらが同じ流れの方向で、即ち鋭角..
-
3-5) 眠江と都江堰成都市の北西約60キロ、そこに都江堰がある。この堰は、眠江の流れを分け、成都平野に十分な灌漑用水を供給すると同時に、眠江の氾濫をも防止する。この堰で分けられた用水は、都江堰から南へデルタ状に広がり、..
-
3-4)揚子江文明と日本(三星堆博物館)五人の留学生仲間と一緒に、大学の車をチャーターして、三星堆博物館に出かける。蜀の古代遺跡専門の、この博物館は、成都から北に40キロの広漢県にある。3階建ての立派なものだが、その周りには何も無い。川べ..
-
3-3)望江楼の女流詩人・薛涛(成都美人)望江楼公園は、四川大学のとなりにあり、竹の美しい庭園である。植えられている竹は、百種類以上という。公園の中には、風雅な餐庁もあれば、野趣に富んだ茶亭もある。恋人達が、愛を語り合うにも絶好の場所である..
-
3-2)杜甫の草堂(中原からの疎開者)武候祠と並ぶ成都の名所に、杜甫草堂がある。唐の詩聖・杜甫を偲ぶ、この記念庭園は、北宋時代に作られ、その後、次第に大きくなったもので、現在では、街の中に浮かぶ、緑の島と言ってもよい程の大庭園である。市..
-
3-1)武侯祠(蜀の都)1998年に成都の四川大学で1ヶ月を過ごした。この章はその時に訪れた四川盆地の名所旧跡の思い出である。 紀元前に、秦に併合される以前の四川盆地は、蜀とよばれる独立国であった。三国志で名高い劉備玄徳..
-
2-6)本屋と画廊大学の中や、裏通りには、小さな本屋が多い。それらの本屋では、コンピューター関係の本と、英語の学習の本がやたら目に付く。現代の流行だという。中国の熟年知識層は、ロシア語を話すが、英語は話さない。英語は..
-
2-5)四川料理と酒四川料理といえば麻婆豆腐、そしてその老舗が陳麻婆豆腐である。しかし、この店の味は、小生の味覚には合わなかった。それよりも、寮の食堂で出してくれる麻婆豆腐の方がよほどおいしかった。陳家のそれは、観光名..