記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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本圀寺跡西本願寺からやや北の所、大宮通に面して建つ本圀寺跡の石碑。戦国時代の本圀寺は足利義昭の仮居所(六条御所)となるなど、 歴史の舞台にもなり、また、正徳元年(1711年)には徳川家宣の襲封祝賀のため来日し..
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従是南六条御境内(道標)京都市下京区、西本願寺から少し北の堀川通に面したところにある石標。 この石標は「これより南、六条の御境内」との意味で、西本願寺の北の 境界を示していたもの。近年の工事中に掘り出されたものとのことです。..
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左女牛井戸跡左女牛井は京の名水の一つで、堀川五条のやや南に碑が建てられています。この辺りは、源頼義・義家・為義・義朝・義経などが居を構えた六条堀川館があった所とのことで、この左女牛井はその源氏の本拠地の邸内にあっ..
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本圀寺跡石碑堀川五条交差点から少し北の処にある石碑。 日蓮が鎌倉松葉ヶ谷に建立した法華堂が本国寺(後の本圀寺)の起源で、貞和元年(1345年)に本国寺は鎌倉から京都へ移されました。また、永禄12年(1569年)に..
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小野寺いよ墓小野寺いよは小野寺十内の妻である丹の妹で小野寺十内の養女になった女性。 赤穂浪士の討ち入りの年である元禄15年(1702年)の4月21日に没。いよの墓は京都市下京区、堀川五条近くにある小野寺丹の墓の隣..
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小野寺丹墓小野寺丹は赤穂義士の一人である小野寺十内の妻。江戸で夫が切腹すると丹は本圀寺で食を断ち亡くなったとも、娘の墓前で切腹したとも伝わっています。京都市下京区、堀川五条近くの路地の奥に墓があります。
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光縁寺京都市下京区にある浄土宗のお寺。かつて光縁寺門前近くには新選組の 馬小屋があったことから新選組との縁も深く、境内には、山南敬介をはじめ、 松原忠司、桜井勇之進、田内知などのほか多くの隊士の墓があります..
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新撰組隊士墓(光縁寺)京都市下京区の光縁寺にある新撰組隊士の墓。3つ並ぶ墓石の向かって一番右側が脱走して切腹をした山南敬助の墓。少し離れた小さな墓石は、 沖田総司が連れてきた縁者で山南敬助の恋人「明里」の墓だそうです。
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前川家(壬生)文久3年(1863年)から2年間、新選組の屯所となった京都の壬生にある家で、池田屋事件の端緒となった古高俊太郎の拷問はここの土蔵で行われたとのことです。現在は個人の住宅のため、内部は一般公開されていま..
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八木家(壬生)文久3年(1863年)春、江戸から京に入った浪士隊が宿営した京都壬生村の郷士の家。その後分裂した浪士隊の一部が新撰組を結成し、この八木家を屯所としました。内部抗争で芹澤鴨が暗殺された部屋とその時の刀傷..
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新徳寺京都市中京区壬生にある臨済宗永源寺派のお寺。新撰組にまつわる最初の大舞台となった場所で、上洛した新撰組の前身浪士組のリーダーであった清河八郎が、浪士達を集めて大演説をしたのがこの新徳寺の本堂です。
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壬生寺京都市中京区壬生にある律宗大本山のお寺。幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組の本拠が壬生村の八木家に置かれたため、当寺境内は新選組の兵法調練場として使われ、武芸などの訓練が行われたそうです。