記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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白川南殿跡平安時代後期(11~12世紀)、白河とよばれたこの地には上皇の御所が設けられていました。その内の一つである白河南殿は「白河泉殿」、「南本御所」ともよ ばれ、阿弥陀堂があったことから「白河阿弥陀堂御所」..
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白川北殿跡現在の京都大学熊野寮のある周辺が白川北殿跡とされています。 保元元年(1156年)に勃発した保元の乱において、白川北殿は崇徳上皇の拠点となりましたが、平清盛らの軍勢による夜討ちに遭い焼失しました。
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山紫水明処江戸後期の儒学者・頼山陽が晩年に住んだ書斎で、鴨川に面して窓から 東山を望めたことから「山紫水明処」と名付けたそうです。現在も藁葺き 屋根もそのままに保存され、頼山陽の子孫が管理しているとのことです。..
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横井小楠殉節地横井小楠は熊本藩出身の儒学者。福井藩の松平春嶽に招かれ幕政改革や公武合体の推進などで活躍しました。明治維新後には新政府に参与として 出仕しますが、明治2年(1869年)1月5日午後、暗殺されました。
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神田明神(京都)天慶の乱の後、平貞盛、藤原秀郷に討たれた平将門の首級は平安京 まで送られ、東の市・都大路で獄門にかけられました。 その平將門の首が晒されたとされている地に残されているのがこの祠。
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五條天神社延暦13年(794年)の 平安京遷都の折、空海が勧請したとされる京都市下京区松原西洞院西入天神前に鎮座する神社。「義経記」では、武蔵坊弁慶出生や義経・弁慶の出会いに深く関わる神社として登場しています。..
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一条戻橋京都市上京区の晴明神社の近く、堀川に架けられている一条通の橋。 三善清行がこの橋の上で生き返った話とか、渡辺綱と鬼の話、等が伝わり、 また、島津歳久と千利休が梟首されるなど、様々な事件の舞台となりまし..
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安倍晴明像安倍晴明は名声を極めた平安時代の陰陽師で、当時の朝廷や貴族たちの信頼を受け、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んできました。 鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の..
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晴明井京都市上京区の晴明神社の境内にある井戸で、安倍晴明の陰陽道の霊力により湧き出したといわれ、無病息災のご利益があるといわれています。 千利休が茶の湯として利用し、豊臣秀吉もその茶を服したと伝わっています..
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千利休聚楽屋敷跡京都市上京区の晴明神社の鎮座する場所が千利休の聚楽屋敷跡とのこと。 天正19年(1591年)2月28日、千利休は秀吉の命によりこの屋敷で 切腹し、首は近くの一条戻橋の袂に晒されたそうです。
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晴明神社京都市上京区、一条戻橋の近くに鎮座する安倍晴明を祀る神社。 安倍晴明は平安時代に名声を極めた陰陽師で、一条天皇はその遺業を賛え、 晴明没後の寛弘4年(1007年)、屋敷跡に神社を創建したそうです。
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首途八幡宮京都市上京区に鎮座する神社で、かつては金売吉次の屋敷があったと伝わる処。 承安4年(1174年)3月3日、源義経は奥州に赴く際に、吉次の助けを得て、 鞍馬山から当社に赴き、道中の安全を祈願して出発した..