記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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大村益次郎遭難之碑明治2年(1869年)、大村益次郎は京阪方面に出張しましたが、同年9月4日 夕刻、京都三条木屋町の旅館で元長州藩士の8人の刺客に襲われて重傷を 負い、同年11月5日に大阪で死去しました。
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佐久間象山遭難之碑元治元年(1864年)、佐久間象山は一橋慶喜に招かれて上洛し、慶喜に公武合体論と開国論を説いたとのこと。尊王攘夷派から狙われていた象山は7月 11日、三条木屋町で前田伊右衛門、河上彦斎等の手により暗殺..
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高瀬川一之船入高瀬川の船入とは、京都府の高瀬川に作られた船を接岸させるための 入り江のこと。高瀬川には他に二之船入・三之船入等の船入もありましたが、 現存するのは一之船入のみで、国の名勝天然記念物に指定されています..
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角倉了以別邸跡角倉了以は国内諸河川の開発整備に従事し、慶長16年(1611年)には この地二条より鴨川の水を引き、伏見に達する高瀬川を開削しました。 現在の「がんこ高瀬川二条苑」辺り一帯は角倉家の邸地だったそうです..
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高瀬川高瀬川は京都の街の中を鴨川と平行して南北に流れる川。 この川は江戸時代の初期に、京都の中心部と伏見との間の物流用に、 京都の豪商角倉了以、素庵父子により開削された運河です。
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角倉氏邸跡京都市中京区木屋町にある、高瀬川の開削で知られる角倉氏邸跡。 角倉了以は実家が裕福だったことから、莫大な資金のかかる川の開削に大き く関係し、高瀬川の開通により京都の物価を安定させたと伝えられています..
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島津製作所創業之地島津製作所は島津源蔵が設立した我国初の計測器・精密機器メーカー。 明治8年(1875年)、島津源蔵はこの地を選んで理化学器械製造の業を興し、 二代目島津源蔵がこれを継承、これが島津製作所の始めとのこと..
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桂小五郎像長州藩屋敷跡、現在の京都ホテルオークラ北西の角にある桂小五郎の像。 桂小五郎(後の木戸孝允)は、長州藩士として討幕に努めて薩長同盟を推進。 明治維新に大きく貢献して、維新の三傑の一人に挙げられている人..
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長州藩邸跡中京区河原町通御池西入る付近、現在は京都ホテルになっている一帯。 幕末には長州藩の重要な政治的拠点となり、蛤御門の変で敗れた時には、 この邸内に自ら火を放ち逃れましたが、市中には延焼しなかったそうです..
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琵琶湖疎水琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)で、国の史跡。 第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したもので、 日本人のみで完成され、近代化遺産として非常に価値が高い..
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夷川発電所第二琵琶湖疏水完成に伴い、大正3年(1914年)4月に運転を開始した京都市左京区にある水力発電所。「琵琶湖疏水の発電施設群」として、蹴上 発電所、墨染発電所とともに土木学会選奨土木遺産に認定されていま..
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北垣国道像北垣国道は京都府知事(第3代)の時、京都の勧業政策として、灌漑、上水道、 水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画、着手した人物で、その功績 により、京都市左京区聖護院の琵琶湖疏水のほとりに像が建..