記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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牛若丸胞衣塚京都市北区紫竹牛若町の畑の中にある牛若丸のものと伝わる胞衣塚。 胞衣とは胎盤のことで、産後の女性は分娩後概ね30分以内に胞衣を排出し、 昔から胞衣を大切に扱ったことは各地の民間伝承に見られるそうです。..
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常徳寺常徳寺はかつては知足院という大寺院でしたが、常盤御前が源義経 (牛若丸)の安産祈願のためにお参りしたと伝えられる地蔵菩薩像が安置されており、「常盤地蔵」の名で呼ばれています。
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金閣寺道・愛宕道(道標)京都市北区小山板倉町の京都小山初音郵便局の近くにある道標。 金閣寺道、愛宕道とは違う今宮通にあり、おそらく移建されたもので、 現在は玄関飾りとして使われているようです。
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細川忠興・お玉像細川藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている勝竜寺城跡にある像。 お玉は関ケ原合戦の際に人質になることを拒み、壮絶な最期を遂げました。
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勝竜寺城現在の京都府長岡市に南北朝時代から江戸時代初期に存在していた城。明智光秀の三女、玉が細川忠興に輿入れをした城であり、また、山崎の合戦では明智光秀が本拠とした城として知られています。
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山崎合戦古戦場碑本能寺の変のあと、天正10年(1582年)6月13日に、羽柴秀吉軍と明智光秀軍が摂津国と山城国の境に位置する山崎を舞台に戦ったのが山崎の戦い。大山崎町立大山崎中学校の正門横に石碑が建てられています。
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大山崎瓦窯跡京都府乙訓郡大山崎町の観音寺(山崎聖天)の麓にある瓦窯跡。平安宮・京の造営を支えたものと考えられ、ここで製作された瓦は平安宮朝堂院をはじめ、嵯峨院、河陽離宮に供給されたとのことです。
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山崎合戦之地碑天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変の直後の6月13日、備中高松城から引き返してきた羽柴秀吉軍と、織田信長を討った明智光秀の軍勢が、摂津国と山城国の境に位置する山崎において激突したのが山崎の戦..
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十七烈士の墓元治元年(1864年)7月、長州藩が軍勢を率いて入京して禁門の変が勃発。長州藩が敗れて西へ向けて敗走する際、幕府軍の追撃を防ぐために天王山に立て籠もったのが真木和泉率いる17士で、全員自害したとのこと..
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天王山京都府乙訓郡大山崎町にある山で、山崎天王社があることが山名の由来。天正10年(1582年)6月の、明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦いで、この山の争奪戦が起こり、「天下分け目の天王山」と表現されました..
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自玉手祭来酒解神社京都府乙訓郡の天王山山腹に鎮座する神社で、もとは「山崎天王社」。本殿の手前に建つ神輿庫は鎌倉時代の建築で、日本にある板倉式倉庫としては最古の例であり、国の重要文化財に指定されています。
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宝積寺京都府乙訓郡大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派のお寺。天正10年(1582年)の山崎の戦いの際には秀吉の本陣が置かれ、また、元治元年(1864年)には、禁門の変で尊皇攘夷派の陣地が置かれた所です。..