記事「京都」 の 検索結果 58648 件
-
翠紅館跡京都東山の霊山護国神社に行く途中にある現在は料亭「京大和」になっているところ。幕末の頃には、ここに西本願寺の別邸で翠紅館と呼ばれる屋敷があり、度々志士たちの会合「翠紅館会議」の場所となっていたそうです..
-
横井小楠墓横井小楠は熊本藩士で儒学者、京都の霊山墓地にお墓があります。横井小楠は福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍しましたが、明治維新後の明治2年(1869年)1月..
-
禁門の変戦死者埋骨地禁門の変は、元治元年7月19日に京都御所の西辺である蛤御門付近で長州藩兵と幕府軍(会津・桑名藩兵)が衝突して勃発した武力衝突事件。薩摩藩が援軍に駆けつけ、長州軍は約400人の戦死者を残し敗退しました。..
-
木戸松子墓木戸松子は京都三本木の芸妓「幾松」として知られていて、明治維新後、幕末の維新三傑の一人である木戸孝允の正妻となり「木戸松子」となった女性。明治19年(1886年)4月10日午前4時、京都で胃病により病..
-
木戸孝允墓木戸孝允は長州藩出身の政治家で、位階勲等は贈従一位勲一等。西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、政府と西郷双方の行く末を案じながら、息を引き取ったとのことです。
-
禁門の変戦死者墓碑禁門の変は元治元年7月19日(1864年8月20日)に、京都で起きた武力衝突事件で、蛤御門の変、元治の変、元治甲子の変、とも呼ばれています。幕末維新の志士達が祀られている霊山墓地に戦死者の墓が並んでい..
-
禁門の変殉難者墓地京都東山の霊山墓地にある「禁門の変」での戦死者の墓碑。長州藩の有吉熊次郎、入江九一、寺島忠三郎、久坂玄瑞、来島又兵衛、それに高杉晋作(禁門の変の戦死ではない)の墓碑が並んでいます。
-
大村益次郎墓(霊山墓地)大村益次郎は明治2年9月4日、京都三条木屋町で8人の刺客に襲撃され、その傷がもとで11月5日、大坂で亡くなりました。遺骸は妻・琴子によって郷里にもたらされ、墓所は山口県山口市鋳銭司にあるそうですが、京..
-
天誅組墓碑天誅組は幕末に公卿中山忠光を主将に構成された尊皇攘夷派の武装集団。文久3年(1863年)8月17日、大和国で決起しましたが、失敗壊滅しました。維新の志士たちの眠る京都東山の霊山墓地に墓碑が並んでいます..
-
池田屋事件殉難者墓幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町の旅館、池田屋に新選組が討ち入り、勤王の志士たちに多くの犠牲者が出ました。京都東山の霊山墓地に池田屋事件殉難者の墓碑が並んでいます。
-
坂本龍馬・中岡慎太郎像(霊山墓地)京都の霊山墓地にある坂本龍馬・中岡慎太郎の墓の脇にある二人の像。坂本龍馬と中岡慎太郎は共に、慶応3年11月15日(1867年12月10日)、京都河原町近江屋井口新助邸において、何者かによって暗殺されま..
-
坂本龍馬・中岡慎太郎墓慶応3年(1867年)11月15日に暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎は、18日に近江屋で葬儀が行われ、霊山墓地に埋葬されたとのことです。龍馬の命日の11月15日には、墓前で慰霊祭が催されているそうです。..