記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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尾形光琳菩提所(泉妙院)尾形光琳は江戸時代中期を代表する画家。尾形光琳と弟で陶芸家の尾形乾山が葬られたのが京都市上京区にあった興善院。興善院はその 後、本行院管下となり、さらに泉妙院と合併し現在に至っています。
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百々橋の礎石堀川通の東に陣をおいた東軍と西に陣を敷いた西軍が戦ったのが応仁の乱。その応仁の乱で何度も両軍が戦ったのが、この付近にあった百々橋。百々橋を支えていた4基の礎石の1つがここに残されています。
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山名宗全邸址山名宗全は、室町時代の但馬、備後、安芸、伊賀、播磨を領した守護大名。応仁の乱では、西軍の総大将として戦いましたが、乱の途中に70歳で死去。この辺りを西陣と呼ぶのは、山名邸がここにあったことによるとのこ..
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西陣西陣織で有名な京都の街の地域の名称。応仁の乱の際、避難した職人たちがここの織物技術を日本各地に広めました。西陣の地名の由来は、応仁の乱のときに西軍がこの地域に陣を構えたことによるとのことです。
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禁裏道場蹟応仁の乱のあと、後土御門天皇が伏見に建立したのが般舟三昧院。天台・真言・律・禅の四宗兼学の道場であったため、禁裏道場と呼ばれました。伏見城築城に伴い、伏見から現在地(京都市上京区)に移されたそうです。..
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北野大茶湯之址天正15年10月1日(1587年11月1日)に実施された大規模な茶会の址。豊臣秀吉が九州を平定した後、北野天満宮境内を会場にして開いたもの。当初は10日間の予定であったらしいですが、わずか1日で終了し..
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北野天満宮京都市上京区に鎮座する菅原道真を祀る神社。菅原道真が大宰府で没した後、道真の怨霊を鎮めるために造営されました。現在は、学問の神様として多くの受験生などからの信仰を集めています。
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西八条第跡西八条第は、仁安元年(1166年)頃、平清盛が造営した広大な屋敷。清盛は蓬が好きで庭に植えていたことから「蓬壺」とも呼ばれていましたが、寿永2年(1183年)、平家は自らこの屋敷に火を放ち、都落ちして..
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西寺跡平安京遷都の際、羅城門を挟んで東寺とともに建立されたのが西寺。西寺は、東寺に匹敵する規模を持つ大きなお寺だったそうです。しかし、正暦元年(990年)の火災により焼失し、現在は跡を残すのみです。
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平安京羅城門遺址平安京の正面玄関でもあり凱旋門でもあったのが羅城門。平安京の中央を南北に通る朱雀大路の南端にありました。現在は当時の遺構などは全くなく、公園の中に石碑がたつのみです。
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七条仏所跡京都市下京区材木町にあった、定朝の子とされる覚助を祖とする仏師の 工房跡。鎌倉時代にはこの仏所から5代康慶、6代運慶、7代湛慶および 快慶らが相次いであらわれ、剛健写実的な作品を生み出していきまし..
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三十三間堂京都市東山区にある国宝に指定されている仏堂で、正式名称は蓮華王院 本堂。堂内中央に鎌倉時代の仏師湛慶作の本尊千手観音坐像が安置され、 その左右と背後に計1001体の千手観音立像が並んでいます。