記事「京都」 の 検索結果 58648 件
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大徳寺三玄院京都府京都市北区紫野にある大徳寺の24ある塔頭の中の1つ。天正17年(1589年)に、石田三成・浅野幸長・森忠政が建立したとのことで、境内には石田三成の墓があるそうですが、残念ながら非公開です。
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大徳寺山門大徳寺は京都市北区紫野大徳寺町にあるお寺で、臨済宗大徳寺派大本山。この山門の上層に雪駄を履いた利休の木像を安置したため、山門を通る者は利休の足下を潜ることになり、これが秀吉の怒りを買ったと伝わっていま..
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平康頼之塔平康頼は鹿ケ谷の密議に参加し鬼界ヶ島へ流された後白河法皇の側近。その後赦免され京に戻りましたが、仏教説話集「宝物集」を編集執筆したことにより、大徳寺の境内に康頼の供養塔が建てらたらしいとのことです。
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在原業平邸跡在原業平は平安時代初期の貴族・歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人。全125段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であるとされています。京都の御池通と間之町通が交差する南東の角に碑があります。
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蛤御門京都御苑の外郭九門の一つで、正式には「新在家御門」と言うそうです。元治元年(1864年)の蛤御門の変の激戦が行われた処として有名ですが、当時は、現在よりも東に30メートルのところに南向きに建っていたそ..
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土御門内裏址里内裏とは平安京内裏の外に臨時に設けられた皇居のこと。現在の京都御苑の西側、蛤御門の向かい側にあるこの里内裏は、鳥羽、崇徳、近衛の3天皇の里内裏として使われたそうです。
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清水谷家の椋京都御苑内京都御所の南西角にある椋の巨木。かつてここに清水谷家という公家の屋敷があったことからの命名とのこと。禁門の変の時、来島又兵衛がこの木の下で討ち死にしたと伝わっています。
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学習院跡幕末の弘化4年(1847年)、公家のための学問所が京都御所の東側に設置され、この学問所は「学習院」と名付けられました。東京の学習院大学は、この「学習院」の流れをくむものです。
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京都御所現在の京都御所は元は里内裏の土御門東洞院殿であった処。南北朝時代から内裏として使われ、南北朝の統一以後に正式な皇居となりましたが、 明治以降、皇居は東京に移り、ここは京都皇宮とも呼ばれるようになりまし..
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花の御所跡花の御所は室町幕府3代将軍足利義満が造営した将軍家の邸宅の通称。2代将軍足利義詮のときに、一時崇光上皇の御所だったことで、このように呼ばれたそうです。ここの石碑には「従是東北足利将軍室町第址」と書かれ..
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百々橋の礎石(室町小学校)百々橋は、寺之内通を流れていた小川(こかわ)に架かる小さな橋で、 この小さな橋が応仁の乱の時の激戦地となりました。その橋の礎石の 一部が、現在室町小学校に保存されています。
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応仁の乱勃発地応仁の乱は、応仁元年から文明9年までの約10年間にわたった内乱。九州の一部を除いた全国が戦場となり、戦国時代への導火線となりました。その応仁の乱が、応仁元年(1467年)1月18日、ここで始まりました..