記事「京都」 の 検索結果 58649 件
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木戸松子墓木戸松子は、京都三本木の芸妓「幾松」として知られていて、明治維新後、 幕末の維新三傑の一人、木戸孝允の正妻となり「木戸松子」となった女性。 明治19年(1886年)4月10日午前4時、京都で胃病に..
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木戸孝允墓木戸孝允は、長州藩出身の政治家で、位階勲等は贈従一位勲一等。 西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、 政府と西郷双方の行く末を案じながら、息を引き取ったとのことです。
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禁門の変戦死者墓碑禁門の変は、元治元年7月19日(1864年8月20日)に、京都で起きた武力 衝突事件で、蛤御門の変、元治の変、元治甲子の変、とも呼ばれています。 幕末維新の志士達が祀られている霊山墓地に戦死者の墓..
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禁門の変殉難者墓地京都東山の霊山墓地にある、「禁門の変」での戦死者の墓碑。 長州藩の、有吉熊次郎、入江九一、寺島忠三郎、久坂玄瑞、来島又兵衛、 それに高杉晋作(禁門の変の戦死ではない)の墓碑が並んでいます。
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大村益次郎墓(霊山墓地)大村益次郎は、明治2年9月、京都三条木屋町で襲撃され亡くなりました。 遺骸は妻・琴子によって郷里にもたらされ、墓所は山口県山口市鋳銭司 にあるそうですが、京都の霊山墓地にも墓碑があります。
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天誅組墓碑天誅組は幕末に公卿中山忠光を主将に構成された尊皇攘夷派の武装集団。 文久3年(1863年)8月17日、大和国で決起しましたが、失敗壊滅しました。 維新の志士たちの眠る、京都東山の霊山墓地に、墓碑が..
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池田屋事件殉難者墓幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、京都三条木屋町の旅館、 池田屋に新選組が討ち入り、勤王の志士たちに多くの犠牲者が出ました。 京都東山の霊山墓地に、池田屋事件殉難者の墓碑が並んでいま..
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坂本龍馬・中岡慎太郎像(霊山墓地)京都の霊山墓地にある、坂本龍馬・中岡慎太郎の墓の脇にある二人の像。 坂本龍馬と中岡慎太郎は共に、慶応3年11月15日(1867年12月10日)、 京都河原町近江屋井口新助邸において、何者かによって..
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坂本龍馬・中岡慎太郎墓慶応3年(1867年)11月15日に暗殺された坂本龍馬と中岡慎太郎は、 18日に近江屋で葬儀が行われ、霊山墓地に埋葬されたとのことです。 龍馬の命日の11月15日には、お墓の前で慰霊祭が催されてい..
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六波羅跡現在の東山開晴館(京都市立の小中一貫校)に碑が建てられています。 平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が 営まれ、またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれました。
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六波羅蜜寺踊り念仏で知られる市聖空也が、天暦5年(951年)に造立した道場に 由来し、当初西光寺と称したそうですが、空也の死後、天暦5年(977年)に 比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改..
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平清盛塚(六波羅蜜寺)六波羅は院政期の平正盛以来、代々平家の拠点となってきたところです。 平清盛の時代に、清盛は「西八条邸」を造営して政治の拠点を移しましたが、 平氏一門の軍事力の拠点は引き続き六波羅館に残されていたと..