記事「伝統文化」 の 検索結果 320 件
-
H22.3Q.038 ⇒11/30~12/26まで南座で行なわれる顔見世は、何の興行か?(ア)京舞 (イ)能 (ウ)歌舞伎 (エ)文楽 ▽ 現在、歌舞伎界は、興行会社・松竹が全てを賄っているが、明治期までは東京・大阪・京都の大劇場と役者の間で個々に専属契約が結ばれていた。 ..
-
H22.3Q.037 ⇒元禄期、和事(ワゴト)の演出を創始した上方の名優は誰?(ア)市川団十郎 (イ)坂田藤十郎 (ウ)片岡仁左衛門 (エ)芳沢あやめ ▽ 「出雲阿国」以来400年の歴史がある歌舞伎は、 西の「上方歌舞伎」 東の「江戸歌舞伎」 の2スタイルが..
-
伝統 と 伝承茶華道 の お稽古 道 は 果てしなく 続く 師 の 熱意 が 伝わる 感謝 と 応える 想い は 一生 変わらない 師 の 自宅 の 庭 の 真っ白 な 紫陽..
-
H22.3Q.036 ⇒江戸時代に台頭した大蔵流狂言で、京都を本拠に活躍しているのは?(ア)茂山家 (イ)山脇家 (ウ)野村家 (エ)三宅家 ▽ 狂言は、 能と同様、猿楽(サルガク)を母体に生まれ、 喜劇色の濃い会話劇で、江戸時代には和泉・大蔵・鷺の3流派が拮抗した..
-
H22.3Q.035 ⇒観阿弥の子で、物まね主体の猿楽能を、歌舞主体の夢幻能へと洗練したのは誰?(ア)相阿弥(ソウアミ) (イ)芸阿弥 (ウ)世阿弥 (エ)音阿弥 ▽ 中世から近世にかけ、 優れた画工や能役者に「阿弥」号の付いた者が数多く、芸阿弥・相阿弥は親子で、共に室町後期の画..
-
H22.3Q.034 ⇒武野紹鴎(ジョウオウ)に師事して、村田珠光が創始した草庵の茶を習得、侘茶(ワビチャ)を大成したのは?(ア)古田織部 (イ)千利休 (ウ)金森宗和(カナモリソウワ) (エ)剣仲紹智(ケンチュウジョウチ) ▽ 村田珠光 ↓ 武野紹鴎 ↓ 千利休に至り、侘茶は大成された。 利..
-
H22.3Q.033 ⇒鎌倉末期から南北朝時代にかけて流行した茶寄合(チャヨリアイ)<闘茶会>で、本茶とされたのは何処の茶?(ア)宇治 (イ)和束 (ウ)大原 (エ)栂尾 ▽ 「茶寄合(闘茶会)」とは、 鎌倉末期から室町期に盛行し、 何種類かの茶を飲み分けて勝負を競う茶会の一種。 「飲茶勝負」 「回茶..
-
H22.3Q.032 ⇒『古今和歌集』仮名序に「近き世にその名聞こえたる人」と紀貫之が挙げた六歌仙の内、唯一の女性歌人は誰?(ア)小野小町 (イ)紫式部 (ウ)清少納言 (エ)藤原孝標女 ▽ 紀貫之が、 『万葉集』より後の時代から選んだ「六歌仙」の内、女性は「小野小町」である。 『古今集』「仮名序」では、..
-
H21.1Q.39 ⇒蕉門十哲の一人・服部嵐雪が句集『枕屏風』の中で、東山三十六峰の穏やかな景観を詠んだ句を記述せよ。▽ 「東山三十六峰」とは、 比叡山から稲荷山まで連なる36の峰を指し、 比叡山以外は、小高い丘陵が柔らかな稜線を見せる。 その姿を服部嵐雪は、「布団着て寝たる姿や東山」と秀逸な表現で詠んでいる..
-
H21.1Q.37 ⇒糺の森(タダスノモリ)を「偽りを 糺の森の木綿襷(タスキ) かけつつ誓へ 我を思はば」(『新古今和歌集』)と詠んだ歌人は?▽ 「親しくなった女に身分の高い男が割り込んで来た事に恨み言を言ったら、女がその男との仲を否定するので…」との詞書があり、『愛しているなら神懸けて誓いなさい』と云う歌意で、下鴨神社・糺の森を巧みに扱..
-
H21.1Q.32 ⇒茶人・武野紹鴎(ジョウオウ)の邸宅に湧いていた名水に因んで名付けられた祇園祭の鉾は何?▽ 室町末期の茶人・武野紹鴎は、利休らの師にあたり、晩年に四条室町に小庵を結び「大黒庵」と号したが、紹鴎が日毎愛用した菊水井は京の名水の一つで、これに因んで名付けられた鉾は「菊水鉾」である。 菊水..
-
H21.1Q.30 ⇒京舞を身近に親しんで貰う為、井上流5世家元・井上八千代が新門前の稽古場で自ら出演し、100回以上続いている催しは何?▽ 井上流5世家元・井上八千代は、 京舞を身近に親しんで貰う主旨で、 前名「三千子」時代の昭和56(1981)年から自宅の稽古場で年4回、自ら出演して「澪(ミヲ)の会」を開いて来たが、既に100..