記事「伝統文化」 の 検索結果 320 件
-
H21.1Q.28 ⇒元禄時代、「伊左衛門」役で初代・坂田藤十郎が生涯の当り芸とした歌舞伎の演目は何?▽ 上方和事(ワゴト)の創始者・初代・坂田藤十郎は、 元禄期に京・大坂で活躍した歌舞伎役者だが、大坂・新町の名妓・夕霧を偲んで舞台化した『夕霧名残の正月』で「藤屋伊左衛門」役を務め大当たりを取り..
-
H21.1Q.27 ⇒能「頼政」のパロディーで、宇治橋畔を舞台にした狂言の曲目は何?▽ 能「頼政」を素材に狂言化されたのは『通圓(ツウエン)』で、「旅の僧が宇治橋を訪れると、夢に男の霊が現れ、宇治橋供養の際、一度に300人に茶を点てて振る舞った為、過労で死んだと云い、僧に回向(エコ..
-
H21.1Q.26 ⇒江戸後期、医者から転じて独自の煎茶道を創案、煎茶家元の先駆けとして公家や文人の間に煎茶道を流行させたのは誰?▽ 江戸中期、抹茶に無い趣味性を煎茶に見出し、京に普及させた「売茶翁(バイサオウ)」こと黄檗僧・高遊外(コウユウガイ)が知られているが、その後、天保年間に本格的に煎茶道を創始したのは、室町一条の..
-
H21.1Q.25 ⇒「平安和歌四天王」の一人と称された江戸時代の歌人で、平易率直な「ただこと歌」を主張し、『六帖詠草』や『布留の中道』などを著したのは誰?▽ 江戸期に京都に住んでいた歌人、 澄月(チョウゲツ) 慈延 小沢蘆庵(ロアン) 伴高蹊(バンコウケイ) 4人を「平安和歌四天王」と称するが、 技巧を廃した「ただこと歌」を提唱したの..
-
H21.1Q.24 ⇒永観堂が建立される以前にこの地に住み、「おく山の いわがき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」(『古今和歌集』)と詠んだ歌人は誰?▽ 「みかえり阿弥陀」と「秋の紅葉」で知られる永観堂は、平安期の官人「藤原関雄(セキオ)」の山荘を空海の弟子・真紹(シンジョウ)が貰い受け、清和天皇から「禅林寺」の名を賜って創建したものだが、関雄..
-
相馬の伝統文化である相馬野馬追いはどうなる?相馬の伝統文化である 相馬野馬追いはどうなる? 原発問題で1000年以上続く 相馬野馬追いが中止になるかも! 10..
-
H20.1Q.55 ⇒次の歌の「作者名」「歌碑が建つ場所」は?「月はおぼろに東山 かすむ夜ごとのかがり火に 夢もいざよふ紅ざくら しのぶおもひをふりそでに 祗園恋しや だらりの帯よ」 ▽ 設問の歌詞は『祇園小唄』だが、祗園の舞妓が座敷で必ずと..
-
H20.1Q.54 ⇒次の歌の「作者名」「歌碑が建つ場所」は?「かにかくに 祗園はこひし 寝る時も 枕の下を 水のながるる」 ▽ 「祗園の白川畔」に「吉井勇」の 「かにかくに…」の歌碑が在り、毎年11/8にその前で「かにかくに祭」が催され、祇園甲部の芸..
-
H20.1Q.53 ⇒次の歌の「作者名」「歌碑が建つ場所」は?「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」 ▽ 幼名・牛若丸の「鞍馬寺」での稚児名が 遮那王(シャナオウ)といい、長じて源義経となる。 背比石(セクラベイシ)は..
-
H20.1Q.52 ⇒次の歌の「作者名」「歌碑が建つ場所」は?「ちぎりをく 花とならびの 丘のへに あはれいくよの 春をすぐさむ」 ▽ 「ならびの丘」=双ケ丘(ナラビガオカ)の事で、仁和寺の南に小高い3つの丘が一直線に並んでおり、古来、天皇の遊猟地と..
-
H20.1Q.51 ⇒次の歌の「作者名」「歌碑が建つ場所」は?「もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る」 ▽ 平安王朝・屈指の和歌の名手、美貌で恋多き女と浮名を流した「和泉式部」が「貴船神社」に詣でた折に詠んだ歌で、「男に忘..
-
H20.1Q.28 ⇒京舞・井上流の「井菱(イビシ)」の紋は、五摂家のどの家に由来するか?▽ 江戸後期に始まる京舞井上流の流祖・初世井上八千代の本名は「サト」と云い、16歳で五摂家の一つ「近衛家」に行儀見習として奉公に上り、 同家で御殿舞も学ぶが、その才能が評価され、舞の師匠格に遇され..