記事「像」 の 検索結果 731 件
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近藤勇像(勝沼)慶応4年3月、近藤勇率いる新選組は、甲陽鎮撫隊と改称して甲州へと進軍。 当初は甲府城を目指しましたが、官軍の東山道軍と勝沼字柏尾で交戦、 鎮撫隊は兵力・武力とも官軍と比べ脆弱で、僅か1日の戦闘で壊..
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滝口入道・横笛像斎藤時頼は、「平家物語」によれば、平重盛に仕えていましたが、恋人・横笛 への思いを断ち切るため出家し、「滝口入道」と称されるようになったとのこと。 横笛は、悲しみのあまり川に身を沈めたとも、出家し..
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平清盛像平清盛は伊勢平氏の棟梁で、保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の 乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任せられました。 西八条殿跡とされている若一神社境内に、平清盛像が建てられ..
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新田義貞像(東毛歴史資料館)新田義貞は、鎌倉時代の末期、足利氏と並び武家を統率する家系であった 新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、好敵手でもあった武将です。 出身地の世良田にある東毛歴史資料館の前に、銅像が建てられてい..
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渋沢栄一像(生家)渋沢栄一の生家である、深谷市の血洗島の旧渋沢邸「中の家」の敷地に、 和装に刀を持って立つ若いころの渋沢栄一の銅像が建てられています。 この銅像は、パリ万国博覧会で渡仏したころの栄一を象ったものだそ..
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渋沢栄一像(渋沢栄一記念館)渋沢栄一の生誕地から程近い、渋沢栄一記念館に建つ渋沢栄一像。 現在埼玉県では渋沢栄一の功績にちなみ、健全な企業活動と社会貢献を 行っている全国の企業経営者に「渋沢栄一賞」を授与しているそうです。
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畠山重忠像(畠山重忠史跡公園)畠山重忠は鎌倉幕府の有力御家人で、治承・寿永の乱でも活躍しました。 鵯越の逆落としの際、大力の重忠は馬を損ねてはならずと馬を背負って坂 を駆け下りましたが、その時の様子の像が、畠山重忠歴史公園にあ..
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伊東祐親像伊東祐親は平安時代末期の河津祐親とも呼ばれた伊豆地方の武将。伊東 荘を工藤祐経から奪い、これが曾我兄弟の仇討ち事件の原因となりました。 石橋山の戦いで源頼朝に敵対し、後に捕えられ自害して果てたとの..
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大船観音鎌倉市岡本の大船観音寺境内にある全長約25mの巨大白衣観音像。地元 有志の発起により、昭和4年(1929年)、護国観音として築造が開始されまし たが、大東亜戦争を挟み、完成したのは昭和35年(19..
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岡崎義実像平塚市岡崎にある岡崎公民館前に建つ岡崎四郎義実の像。岡崎義実 は三浦義明の弟で、三浦悪四郎と呼ばれましたが、相模国大住郡岡崎 (平塚市岡崎・伊勢原市岡崎)を領し、岡崎氏を称しました。
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齋藤実盛像斎藤実盛は、武蔵国幡羅郡長井庄(埼玉県熊谷市)を本拠とした武将。 義賢の遺児・駒王丸(後の木曽義仲)を窮地から救いましたが、加賀の国の 篠原の戦いで義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られてしまいま..
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畠山重忠像畠山重忠は鎌倉幕府の有力御家人で、幕府創業の功臣として重きをなし、 武勇の誉れも高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称されました。 しかし、源頼朝の没後に北条時政の謀略により、討たれてしま..