記事「像」 の 検索結果 731 件
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新聞少年の像神奈川県庁からすぐ近くのところにある横浜情報文化センター前に建つ像。 この像は日本新聞販売協会創立50周年を記念して、平成16年(2004年) に日本新聞販売協会から新聞博物館の地に寄贈されたもの..
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東大寺盧舎那仏像奈良市の東大寺大仏殿の本尊である仏像で、奈良の大仏として有名です。 聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、 7年後の天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が盛大に行われました。
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巴御前像(徳音寺)巴御前は軍記物の中で、木曾四天王とともに木曽義仲の平氏討伐に従軍し、 源平合戦で戦う、大力と強弓の女武者として描かれている女性。 中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、源義仲の妾とされています..
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曾我兄弟像(曽我寺)静岡県富士市久沢の曽我寺境内にある、曽我兄弟の像。 曽我寺は曽我兄弟の菩提を供養をしたお寺で、 境内には、像の他にも、曽我兄弟の墓があります。
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北条早雲像北条早雲は戦国時代初期の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖。一介 の素浪人伊勢新九郎が駿河へ下って身を興し、後に関東を切り取り一代の 梟雄北条早雲となったと伝わっていますが、その実像には異論もあ..
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曽我兄弟像(河津)静岡県賀茂郡河津町の河津八幡社境内にある曽我兄弟の像。 河津八幡社は、曽我兄弟の父である河津三郎祐泰を奉る神社で、 河津三郎の屋敷跡であり、曽我兄弟はここで生まれたと伝わっています。
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河津三郎力石曾我兄弟の父親である河津三郎は、相撲の名手として知られていて、 相撲の決まり手「河津掛け」の考案者とされていますが、河津三郎が力を 練るために用いたという300kgほどの石が、河津八幡神社境内にあ..
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原爆の子の像広島市の広島平和記念公園内にある、佐々木禎子さんをモデルにした像。 佐々木禎子さんは、原爆による白血病で死去した当時12歳の少女。 禎子さんのみならず、すべての原爆で死んだ子を追悼するための像です..
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ボート遭難の碑明治43年(1910年)1月23日、七里ヶ浜の沖合いで、ボート箱根号に乗 った逗子開成中学校の生徒ら12人が転覆遭難し、全員が亡くなりました。 遭難現場を見下ろす稲村ケ崎に、ボート遭難の碑が建て..
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木曽義仲と巴御前像木曽義仲は源義賢の次男で、源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる武将。 巴御前は木曽義仲の妾で、樋口兼光の娘とも、中原兼遠の娘、樋口兼光・ 今井兼平の姉妹とも云われ、男勝りの武勇の持ち主だったと伝わっ..
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寛一お宮像尾崎紅葉が書いた小説「金色夜叉」の舞台になったのが、熱海の海岸。 熱海の海岸で、寛一がお宮を蹴り飛ばす場面が有名で、熱海サンビーチには、 許しを乞うお宮を貫一が下駄で蹴り飛ばす場面が銅像になってい..
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新田義貞像(生品神社)昭和58年(1983年)、新田義貞像挙兵650年を記念して生品神社境内に 安置されましたが、平成22年(2010年)に、盗まれてしまったそうです。 平成24年(2012年)5月8日に再建され、除幕..