記事「古事記」 の 検索結果 755 件
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スサノオと祇園さん 2 泣き虫(承前) 記紀神話を初めから書き出すと、馴染みの無い読者はきっと急性の偏頭痛に襲われることになるので、大幅にはしょって、肝心なところだけを紹介することにして、神様の名前も漢字表現はやめて、カタカナ..
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スサノオ考 3 瀬織津姫(承前) さて今回の主題は「禊ぎ」「祓」というものですが、天上界で犯した罪による穢れも正しく解除(祓、はらえ)を行うことによって清浄さを取り戻せるのですから、人々が生活の中で知らず知らずの内に身に..
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大国主と垂仁天皇 2 鳥鳴海と国忍富(承前) ゴチック体に変えてある黒文字部分の神様たちの名前が、二つの系譜で重複しているのは明らかですが、整合性は全く窺えません。 と云うよりオオクニヌシは稲佐の浜で国を譲り渡した出雲神の代表者であ..
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古事記の秘密 1 額田部氏古事記は『妹、豊御食炊屋比売命、小治田宮に坐しまして、天の下治らすこと、三十七歳なりき。御陵は大野の岡の上に在りしを、後に科長の大き陵に遷しき』の記述を以って閉じられますが、推古天皇(554~6..
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大国主命と天津彦根命 4(承前) 出雲国造が新任の折、朝廷に出て出雲の神からの祝辞を述べます。それを『出雲の国の造の神賀詞』と言いますが、その中にも大国主命という神名は用いられず『出雲の国の青垣山の内に、下つ岩根に宮柱太..
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大国主神と天津彦根命 2 祟る神(承前) 一万年とも、それ以上とも言われる縄文時代、次に稲作文化を基盤とした弥生時代があり、その後に巨大なモニュメントを中核とした古墳時代が続く中、人々の暮らしは常に大自然と共にありました。漁労や..
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大国主命と天津彦根命 1西暦672年1月7日、近江朝の主が亡くなった。病が篤くなった事を自覚した天智天皇は前年冬十月、東宮・大海人皇子を病床に呼び寄せ『後事を頼みたい』ともちかけましたが、事前に蘇我臣安麻呂から『有意い..
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オオクニヌシの原像 1宋の時代、范曄(398~445)が五世紀半ば頃に著した『後漢書』東夷伝には「建武中元二年(西暦57年) 倭奴国奉貢朝賀 使人自称大夫 倭国之極南界也 光武賜以印綬」「安帝永初元年(西暦107年)..
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歴史書と万葉集【教科書まとめ】◆歴史書の編纂◆ 天武天皇のときから、神話や伝承、記録をもとにして天皇を中心とする歴史書の編纂が始まった。 奈良時代になって、『古事記』『日本書紀』として完成した。 ◆『古事記』◆ 『古事..
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オオクニヌシ考 4(承前) 天下を造った大神オオナモチ(オオナムチ)が越の八口を退治して帰るとき長江山まで来たとき、 私が造り、私が治めている国(葦原中国)はアマテラスの子孫に譲ってあげてもいい。 た..
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オオクニヌシ考 3 国譲り(承前) 一般に、建国神話といわれるものは世界中にあると聞きます。その筋書きは大同小異で、つまるところ『この国は何々というカミサマが(或いはカミサマたちが)昔むかしお造りになったのだ』というもので..
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オオクニヌシ考 2(承前) ただ、風土記は記紀同様、漢字ばっかりで味気ないこと、この上ないので、例によって筋書きだけ、それも関係のありそうな処だけ抜き出してみます。出雲国風土記には、一体どのように書かれているのか…..