記事「古代史」 の 検索結果 454 件
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「陰謀史観」の跋扈と克服(2)-「陰謀史観」を克服するには?-(前項の続き) では「陰謀史観」を克服するにはどうすればいいのか? 以下、この点について述べてみよう。 1.克服の前提 何よりも踏まえるべきは次の点であろう。 「陰謀史観」..
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「陰謀史観」の跋扈と克服(1)ー「陰謀史観」の基盤ー以前に、『東日流外三郡誌』について触れたことがある(井内ー2011)。 そこでも述べたように、この問題については東奥日報社の記者である斉藤光政が綿密な取材を行っている。 その結果、明..
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「前衛」と在地首長制ー現代日本が必要とする古代国家・社会像ー(前項の続き) ここでは前項で述べた「政治的可変性」の現代における社会的意義について述べよう。 現代社会との関連で重要な意義を持つのは、かかる「可変性」が「動態的」な古代史像につながる可能..
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「前衛」と在地首長制(2)ー「人格的身分的結合関係」の「政治的可変性」-(前項の続き) 前項では、8世紀における「人格的身分的結合関係」の国家体制及び政策面における位置付けについて、地方行政機構の維持・運営から述べた。 その過程を改めて確認すれば以下のようにな..
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「前衛」と在地首長制(1)ー「古典古代的・ゲルマン的形態」と「アジア的形態」-前々項までに引き続き、『日本の古代国家』とボリシェヴィズムとの関わりを。 『日本の古代国家』(石母田ー1989・A)の主要なモチーフを示すのが、以下の一節であることはよく知られている(16頁..
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日本共産党についての見解前項までの「石母田正の『衝迫』とボリシェヴィズム」で日本共産党について述べた。 批判的とも受け取られる内容であるので、誤解のないように見解を述べておきたい。 基本的に、私は日本共産党..
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石母田正の「衝迫」とボリシェヴィズム(6)ー『日本の古代国家』の「禍根」と古代史学界ー(前項の続き) 前項までで述べた石母田の「社会主義国の問題への対応」という課題認識の封印は古代史学界に大きな禍根を残したと言える。 具体的には(ⅰ)『日本の古代国家』を執筆させた石母田の「..
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石母田正の「衝迫」とボリシェヴィズム(5)ー『日本の古代国家』の「生命」を握ったものー(前項の続き) ここでは前項までで述べたことを整理しつつ、石母田正の「衝迫」((1)参照)の在り方『日本の古代国家』(石母田ー1989)の社会的意義のあり方について考えてみる。 『日本の..
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石母田正の「衝迫」とボリシェヴィズム(4)ー石母田の「課題認識」と日本共産党ー(前項の続き) 前項までで述べたのは、『日本の古代国家』(石母田ー1989)における「社会主義国家の諸問題への対応」という課題認識が、なぜ封印されたかであった。 それでは、そのもっとも直..
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石母田正の「衝迫」とボリシェヴィズム(3)ー『日本の古代国家』における「課題認識」の封印ー(前項の続き) 前項で述べた『共産党宣言』の引用は「社会主義国家の諸問題への対応」という課題認識が、『日本の古代国家』(石母田ー1989・A)においても継続していることを示している。 ..
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石母田正の「衝迫」とボリシェヴィズム(2)ー『日本の古代国家』と『共産党宣言』-(前項の続き) 石母田が文化大革命に呼応したのは何故であろうか? 基本的な答は、「国家史のための前提について」(石母田ー1989・B)の中の、「国家の死滅」を論じた章における、文化大革命に..
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石母田正の「衝迫」とボリシェヴィズム(1)ー『日本の古代国家』の「タブー」-石母田正の学問の内的動機として「衝迫」を挙げたのは、本年一月に逝去した吉田晶である(吉田ー2003)。 吉田はそれを「独りよがりの思い込み」と区別した上で「心の底から衝き上げてきて自分自身に..