記事「岐阜」 の 検索結果 5902 件
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兜塚関ケ原合戦の前日の慶長5年9月14日(1600年10月20日)に発生した、 関ケ原合戦の前哨戦である杭瀬川の戦いで戦死した東軍、中村隊の武将、 野一色頼母を葬り、その鎧兜を埋めたと伝えられている場所で..
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赤坂宿御使者場跡中山道の赤坂宿の兜塚の傍に御使者場跡があります。 赤坂宿には東西の出入り口に御使者場があり、これは西の出入り口にあった もので、大名が宿場に入る際に宿役人や名主が出迎えた場所とのことです。
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岡山本陣跡関ケ原の合戦の前日に徳川家康が本陣を置いた処で、この日、 大垣城にいた石田三成との間で杭瀬川の戦いが起こりました。 この後、徳川家康はここから西方の関ケ原の桃配山に陣を移していきました。
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関ケ原合戦慰霊碑慶長5年9月14日(1600年10月20日)、関ケ原の戦いの前哨戦である杭瀬川の戦いが起こり、局地戦ではありましたが西軍が大勝しました。 当時、徳川家康の本陣のあった岡山の麓に関ケ原合戦慰霊碑がありま..
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御首神社岐阜県大垣市荒尾町に鎮座する平将門公の御神霊を祭神とする神社。 京で晒し首にされていた平将門の首が関東へ戻ろうと飛び立ちましたが、 途中で射落とされ、その首が落ちたところに創建されたと伝わっています。..
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日吉神社岐阜県大垣市の大垣城から北西に約2kmのところに鎮座する神社。 すぐ近くに杭瀬川が流れ、慶長5年9月14日(1600年10月20日)に、 関ケ原合戦の前哨戦である杭瀬川の戦いの行われた場所とされていま..
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大垣城現在の岐阜県大垣市にあった城で、麋城、巨鹿城とも呼ばれていたそうです。 関ヶ原の戦いの際には城主であった伊藤盛宗が西軍に属したため、 石田三成が入城し西軍の拠点となりましたが、西軍の敗戦後に落城しまし..
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戸田氏鉄騎馬像戸田氏鉄は徳川家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いにも従軍した武将。 寛永12年(1635年)に美濃大垣10万石へ移封され、美濃大垣藩初代藩主となりました。現在の大垣市大垣公園(大垣城跡)に戸田氏鉄の騎..
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山岡鉄舟像飛騨高山の高山陣屋の直ぐ近くにある「青雲」と題された山岡鉄舟の像。 山岡鉄舟は飛騨郡代となった父に従い、弘化2年(1845年)に9歳で飛騨 高山に赴き、嘉永5年(1852年)、父の死に伴い江戸へ戻った..
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高山陣屋江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために、現在の岐阜県高山市 八軒町に設置した代官所。元来は飛騨高山藩主の下屋敷でしたが、元禄5年(1692年)以降、代官所として用いられるようになったとのことです..
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若き日の織田信長像岐阜は以前は美濃斎藤氏の本拠地で、井ノ口という地名でしたが、織田信長が、永禄10年(1567年)、斎藤龍興を敗走させ、稲葉山城を手に入れ、美濃を支配するようになった時、井ノ口を岐阜と改称しました。
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齋藤道三公墳長良川に架かる長良橋の南の袂にある齋藤道三の墓。 美濃のマムシと恐れられた齋藤道三は、家督を子の斎藤義龍へ譲り鷺山城に隠居しましたが、その後その義龍と対立し、長良川の戦いで敗死しました。