記事「岐阜」 の 検索結果 5902 件
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岐阜城金華山上にあり、かつては斎藤道三の居城で稲葉山城と呼ばれてた城。永禄10年(1567年)、織田信長が斎藤龍興から奪取して岐阜城と改名しました。「天下布武」を唱え、信長が天下統一の足場とした城です。
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山内一豊・千代婚礼の地千代が一豊に嫁ぐ際、「夫の大事に初めて之を使うように」と言い含められ ていた鏡箱の中の金十枚の千代の持参金で一豊は名馬を手に入れました。 信長から名馬とその心構えを讃えられ、一豊は出世を掴む事になりま..
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板垣退助遭難の地板垣退助は土佐藩出身の自由民権運動の主導者として知られる政治家。明治15年(1882年)4月、岐阜で遊説中に襲われ負傷した際に、出血しながらも「板垣死すとも自由は死せず」と言ったことが広く伝わることに..
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織田信長居館跡岐阜公園にあり現在発掘中の織田信長公が館を構えた地とされるところ。永禄12年(1569年)、岐阜を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、その記録の中で信長公の館を「宮殿」と称し、華麗な内部の様子を紹介してい..
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長良公園長良公園は岐阜市にある公園で、枝広館の跡地と推定されているところ。枝広館は天文元年(1532年)に土岐頼芸が築いた居館で、その頃、頼芸は長井規秀の計略で兄政頼を追放して美濃守護の地位を手に入れました。..
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鷺山城跡岐阜城から北西に約5km程のところにある城址。斎藤道三の娘の濃姫は鷺山殿と呼ばれていたため、ここでの育ちと考えられています。斎藤道三の晩年の居城でしたが、道三敗死後、廃城となりました。
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道三塚弘治2年(1556年)4月、斎藤道三は、子・義龍と長良川で戦いましたが、兵数に劣る道三軍は敗れ、道三自身も4月20日、城田寺に退くところを長井中左衛門、小牧源太、林主人等によって討ち取られたと伝わって..
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稲葉一鉄寄贈の梵鐘稲葉一鉄は斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕えた武将で、美濃国曽根城主。 安藤守就、氏家直元と共に西美濃三人衆と併称され、その筆頭とされました。 岐阜市の崇福寺に稲葉一鉄が寄贈したとされる梵鐘(再生)がありま..
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崇福寺織田信長が岐阜に入ってから織田家菩提寺となったお寺。本能寺の変により織田信長と織田信忠が亡くなると、二人の遺品は側室のお鍋の手で岐阜城から崇福寺に持ち込まれ、信長・信忠廟所に埋められたとのことです。
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馬篭宿中山道69次の中の43番目の宿場で、木曽11宿の一番南の宿場町。かつては長野県木曽郡山口村に属していましたが、平成17年(2005年)2月の山口村の越県合併により、岐阜県中津川市に編入されたそうです。..
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藤村記念館かつて中山道の宿場町であった馬籠宿の島崎藤村生家跡に建つ文学館。島崎藤村の生家は馬籠宿の本陣でしたが、明治28年(1895年)の大火で焼失し、その本陣跡に昭和22年(1947年)、この文学館が建てられ..
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南宮大社岐阜県不破郡垂井町の南宮山の山麓に鎮座する神社で、 鉱山の神である、金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の 総本宮として古くから信仰を集めているそうです。