記事「広島」 の 検索結果 15882 件
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厳島合戦跡厳島合戦は天文24年(1555年)10月1日に、安芸国厳島で毛利元就と陶晴賢との間で行なわれた合戦。厳島に陣を張った約2万の陶晴賢の軍に約3千5百の毛利軍が奇襲をかけ、毛利軍の大勝利となりました。
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厳島神社創建は推古天皇の時代とされていて1400年の歴史を誇る神社。平家一門の氏神として崇敬され平家納経も奉納されました。日本三景の一つであり、 ユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
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後白河法皇御行幸松後白河法皇のお手植えとされる松の遺木で、厳島神社社殿の裏手に保存されています。 承安4年(1174年)3月、後白河院は平清盛の義理の妹でもある滋子を伴い厳島神社に参詣し、回廊の下の波や山の緑といった風..
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反橋(厳島神社)厳島神社の裏手にあり、陸地と社殿とを結ぶ橋。朝廷からの勅使が参拝するときにこの橋を渡って本殿に向かったと伝わっていて、勅使橋とも呼ばれています。長さ23m、幅4mの橋で、国の重要文化財に指定されていま..
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五重塔(宮島)宮島の厳島神社の北側の丘の上に建つ、高さ27.6mある応永14年 (1407年)に建立されたもの伝わる五重塔。正式には厳島神社・五重塔 ではなく、「厳島神社の末社・豊国神社の五重塔」とのことです。
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康頼灯篭宮島の厳島神社の境内、卒塔婆石の直ぐ傍にある石灯籠。鬼界ヶ島から 流した千本の卒塔婆のうちの一本が幸運にも厳島神社に流れ着き、康頼 は許され、それに感謝した康頼が寄進したと伝わっています。
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卒塔婆石安芸の宮島の厳島神社の境内にある石。 鹿ケ谷事件に連座し、鬼界ヶ島に流されていた平康頼が、千本の卒塔婆に望郷の歌を記し海に流したところ、その中の1本がここに漂着したと伝わっています。
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大鳥居(厳島神社)厳島神社の沖合約200mの所に立つ、春日大社・気比神宮の大鳥居と共に「日本三大鳥居」に数えられる大鳥居で、高さは16.6m。現鳥居は明治 8年(1875年)の再建で、平清盛の造営時から8代目と言われて..
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平清盛像平清盛により現在の海上に建つ大規模な社殿が整えられた厳島神社は、 平家一門の隆盛とともに大いに栄えました。宮島桟橋前広場に厳島神社と縁の深い平清盛の像が建てられています。
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広島城の暗渠跡広島城の南側にある地下歩道を少し入った所の壁に案内板が設置され ています。この暗渠は、かつて広島城の内堀と中堀を結んでいたもので、 堀の水量の調節のためのものだったと考えられているそうです。
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広島大本営跡広島大本営は明治27年(1894年)に勃発した日清戦争の指揮のため、 広島城内に設置された大日本帝国軍の最高統帥機関。一時的とはいえ、この時期の広島市は臨時の首都機能を担いました。
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広島城天守閣礎石広島城の天守閣は原爆で破壊されてしまいましたが、その後昭和33年 (1958年)に再建されました。その際、もと天守閣柱下の礎石が掘りおこされ天守閣の直ぐ近くのこの場所に原型のまま移され保存されています..