記事「思い出」 の 検索結果 9249 件
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飯島晴子のこと飯島晴子論が書けなくて困っている。もうとっくに飯島晴子の段階を、日本の俳人は卒業しているかと思うと、飯島晴子以下のレベルの人たちが、うようよしている。なんとも、情けない状態。 飯島晴子と言えば、..
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朝の電車朝の電車に、このごろひさしぶりで乗っていると言えば、 「うらやましい!」 「あなた何様なの?」 という声が飛んできそうだ。このシーズンには、朝の電車に乗ると言っても、守秘義務には抵触しな..
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相生 生家の記憶(4)三人兄弟の末っ子で長男の私は、上に二人の姉がいた。 11歳年上の長姉C子と9歳年長の次姉K子。それぞれいまは、赤穂市のM家と相生市のH家の主婦である。 次姉のK子姉と、陸の天満宮の社務所前で撮った..
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相生 生家の記憶(3)モノクロ写真では、生家の室内を撮る機会が少なかったが、父はときどき私たちを撮っていた。 休日、たぶん日曜日の朝に起こされた寝ぼけ顔で、撮られた数枚があり、そのうちの1枚は椅子に座った私が写っている。..
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相生 生家の記憶(2)生家の狭い庭は、玄関横に、ブロック塀に沿って細長く広がっていた。そこには、南天、葉蘭、イブキ、金木犀、つつじ、オシロイバナなどが植えられていた。 南天の花は、黄色い蘂と白い花弁を、..
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相生 生家の記憶(1)私が生まれたのは、国道2号線沿いの相生市菅原町。木造平屋の家だった。病院で出産せずに、お産婆さんに取り上げてもらう出産がまだあたりまえのころ。1955年7月3日午前10時ごろ、その家でこの世に生まれ出..
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知的情念 八木三日女の第3句集『落葉期』実際に八木三日女と出会ったのは、第3句集『落葉期』出版直後だった。この句集は、何度も何度も読み、数々の引越しをへて、いま富士見市のわが家にある。カバーは、かなり傷んでいる。 読み返してみると、私の初..
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熊野・中上健次の思い出(6)中上健次は、1992年8月12日に他界した。前年の秋から、体調を崩していると聞いた。そう言えば、熊野大学でも、気分が悪そうにしていたこともあるし、はじめて出会ったときたから、目のまわりが黒ずんでいた。..
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熊野・中上健次の思い出(5)熊野通いを始めて1年後の1991年2月6日、熊野の火祭りに参加できた。より正確に言うと、神倉神社の御燈祭の上り子(のぼりこ)となったのだ。 御燈祭 http://ja.wikip..
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熊野・中上健次の思い出(4)1990年の8月3日には、はじめての子どもが無事生まれた。一人娘である。中上健次の誕生日は、8月2日。私の父の誕生日は、8月1日。8月はじめに、家族と友人の誕生日が並んでいた。 句集『楽浪』には..
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ふるさと相生のこと私は、1955年に兵庫県相生市で生まれた。生後数ヶ月の写真が手元にある。三人兄弟の末っ子、長男としての誕生だった。つまりは、姉二人のあと、ようやく生まれた男が私だった。赤ん坊のころ、舌を出すと、まわり..
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新俳句人連盟創立60周年記念祝賀会2006年10月15日(日)、午後2時~4時、学士会館にて、新俳句人連盟60周年を祝う会があり、出席した。 日本国内の俳壇のパーティーに出席するのは、何年ぶりだろうか。 会長の敷..