記事「愛知」 の 検索結果 7274 件
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沓掛城址沓掛城は尾張国愛知郡沓掛(現・愛知県豊明市沓掛町)にあった城。永禄 3年(1560年)、桶狭間の戦いの前日に今川義元は2万5千の大軍を率い てこの城に入り、5月19日にここから桶狭間に向かって行っ..
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戦人塚永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦いでの戦死者(約2500人)を、 曹源寺2世快翁龍喜和尚が明窓宗印に命じて村人とともに各所に葬り引 導焼香した塚の一つ。愛知県豊明市前後町にあります。
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今川義元・織田信長像愛知県名古屋市の桶狭間古戦場公園にある今川義元と織田信長の像。 永禄3年(1560年)5月19日、おけはざま山の今川義元の本陣に奇襲 攻撃を仕掛けた織田信長軍は見事に今川義元を討ち取りました。
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井伊直盛陣地跡永禄3年(1560年)の桶狭間合戦の際、井伊直虎の父である井伊直盛が 今川軍の先陣として約1千で陣を張ったと伝わる処。今川軍は織田軍から の攻撃で総崩れになり、直盛もこの地で亡くなったとのことです..
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七ツ塚(桶狭間)桶狭間の戦いで勝利を収めた織田信長は、村人に戦死者を葬るよう命じて 引き揚げ、村人はこの辺りに七つの穴を掘り埋葬したと伝えられています。 桶狭間古戦場公園の北300m程の所に七つの塚の一つが現存し..
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戦評の松愛知県名古屋市緑区にある松の木。桶狭間の戦いにおいて義元の本陣 の設営を終えた瀬名氏俊隊は、この大松の下で軍議を開いたといわれ、 戦評の松と呼ばれています。今の松は3代目だそうです。
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瀬名陣所跡愛知県名古屋市緑区にある瀬名氏俊の陣所跡。瀬名氏俊は今川義元の 家臣で、永禄3年(1560年)5月19日の桶狭間の戦いでは、今川本隊の 先発隊として偵察、桶狭間にて本隊の陣所の設営等を行ったとのこ..
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おけはざま山愛知県名古屋市にある「おけはざま山」(今川義元本陣跡)の碑。織田信長 はこの本陣に突撃し、桶狭間の戦いの主戦場になったとされる処です。そし て今川義元は古戦場公園辺りまで攻め込まれて討ち取られたと..
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田楽坪(桶狭間古戦場)愛知県名古屋市緑区の田楽坪と呼ばれていたこの一帯は、桶狭間の戦い の中心地であり、おけはざま山の本陣から追われた今川義元が打ち取られ た最期の地と言われています。現在は桶狭間古戦場公園となっていま..
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今川義元戦死の地(名古屋市)愛知県名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園にある「今川義元戦死之地」碑 と今川義元の墓碑。ここが、おけはざま山の本陣から追われた今川義元が、 服部小平太と毛利新介によって討ち取られた最期の地と言われてい..
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松井宗信墓松井宗信は、戦国時代の武将で今川氏の家臣。二俣城主として今川氏の 最盛期に貢献し、桶狭間の戦いで主君を守るため壮絶な戦いを繰り広げ て戦死。桶狭間の古戦場、愛知県豊明市の高徳院境内に墓があります。..
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桶狭間古戦場(豊明市)愛知県豊明市に伝わる桶狭間古戦場。大軍を率いて尾張に侵攻した駿河 の今川義元に対し、尾張の織田信長が少数の軍勢で今川軍の本陣を強襲 し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた歴史上有名な戦いの跡で..