記事「愛知」 の 検索結果 7274 件
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今川義元墓(豊明市)愛知県豊明市の桶狭間古戦場にある今川義元の墓。永禄3年5月19日 (1560年6月12日)今川義元は桶狭間山で休息中に織田信長の攻撃を 受け、織田家家臣・毛利良勝に首級を奪われました。享年42歳。..
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今川総介義元戦死所愛知県豊明市の「桶狭間古戦場伝説地」にある七石表の1号碑。今川義元 が討ち取られた所とされ、古戦場伝説地の中で一番古い史跡で、明和8年 (1771年)に尾張藩士人見弥衛門・赤林孫七郎により建立され..
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今川義元本陣跡愛知県豊明市の高徳院境内にある今川義元公本陣跡の碑。永禄3年5月 19日(1560年6月12日)に尾張国桶狭間で行われた合戦で、今川義元 が本陣をおいたと伝えられている場所です。
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高徳院(豊明)愛知県豊明市にある真言宗のお寺。明治27年(1894年)に高野山から 桶狭間古戦場隣地へ移転。敷地内には、今川義元の仏式墓所や本陣跡 の石碑、今川軍の重臣・松井宗信の墓碑が残っています。
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徳川家康像この像は、「しかみ像」と呼ばれる肖像画をもとにつくられた石像です。 徳川家康は、三方ケ原の戦いで武田信玄に惨敗したとき、自戒の念を 忘れることのないように、「しかみ像」を描かせたと云われています。..
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松平元康像松平元康は、松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた後の徳川家康。 人質として身を寄せていた駿府で元服し、今川義元の元の字を賜り、 次郎三郎元信と名乗ったが、さらにまた、蔵人左元康と改めました。
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徳川家康像徳川家康は松平広忠の嫡男として天文11年(1542年)岡崎城で誕生。 6歳の時、人質として駿府に送られたために岡崎城を離れましたが、 桶狭間の戦いで今川義元が討たれた直後に、岡崎城に戻りました。
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本田平八郎忠勝像徳川家康の家臣で、徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人。 家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本田平八郎とまで言われた程。 槍の使い手で、空を飛ぶトンボを切るほどであったと伝わっています。
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熱田神宮三種の神器の一つである草薙剣を祀る、名古屋市熱田区にある神社。 伊勢神宮に次いで権威のある神社とされています。 かつては、伊勢湾に突き出ていた岬上に位置していたとのことです。
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那古野城跡現在の名古屋城のあるところに、今川氏親が築城した城。 織田信秀がこの城を奪い、古渡城に移るまでここを居城としていて、また、 織田信長がここで生まれ、清須に移るまでここを居城としてたそうです。
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藩訓秘伝の碑名古屋城の二の丸跡にある、「王命に依って催さる事」と刻まれた碑。 この言葉は、初代藩主徳川義直の「軍書合鑑」の中にある一項の題目で、 勤王の精神について述べているそうです。
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青松葉事件之遺跡青松葉事件は、慶應4年(1868年)に、名古屋城内で起きた事件。 第14代藩主徳川慶勝の命令により、14名の佐幕派藩士が斬首されました。 処刑された一人の渡辺在綱の家が「青松葉の渡辺」と云われてい..