記事「愛知」 の 検索結果 7274 件
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針綱神社犬山城の南の登城口近くにある神社で、犬山城の守護神。 織田信康が手彫りの狛犬一対を奉納して安産祈願をしたことから、 安産、子授けにご利益があると云われています。
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薩摩義士の碑宝暦3年(1753年)、徳川幕府は木曽川の治水工事を薩摩藩に命じました。 薩摩藩家老の平田靱負が指揮を取りましたが、幕府役人の妨害にもあい、 工事は難航。工事完成後、平田靱負は切腹、義士として讃え..
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中川清蔵主の碑天正12年、池田恒興が突如犬山城を攻撃、これが小牧長久手合戦の発端。 犬山城は落城し、留守を預かっていた中川清蔵主は討死。 その討死をした所に榎が植えられ、榎塚と呼ばれるようになったそうです。
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下山順一郎像下山順一郎は明治時代の薬学者で、日本の薬学博士第1号。嘉永6年 (1853)年、尾張犬山に生まれ、明治6年(1873年)に第一大学区医学 校(現東大)に進み、私立薬学校(現東京薬科大)初代校長とな..
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犬山城木曽川沿いの高さ約88mの丘の上に築かれた城で、別名は白帝城。現存 天守12城の1つで、天守閣は国宝にもなっています。小牧長久手の戦いは、 この城の争奪戦から始まりました。
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木下勘解由塚長久手の戦いでの羽柴軍の総大将は、三好信吉(後の豊臣秀次)。 この戦いで敗れ、三好信吉も馬を失い徒歩で敗走。 この時、自分の馬を信吉に譲り、自らは討死したのが木下勘解由利匡です。
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堀久太郎秀政本陣地跡長久手の戦いで秀吉方の武将、堀秀政が本陣をおいたとされる場所。 堀秀政は小牧長久手の戦いに軍艦として進軍、桧ヶ根の戦いで、 徳川方の榊原康政軍を撃退し、これが秀吉方の唯一の勝利となりました。
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長久手城址長久手城は戦国期には徳川方の加藤氏の居城でした。小牧長久手の戦い の際には、城主加藤忠景は岩崎城の戦いに参戦し討死。長久手城は城主 の弟である氏重が守備するも焼失、後に廃城となりました。
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加藤太郎右衛門忠景宅の碑加藤太郎右衛門忠景は、小牧長久手合戦当時の長久手城主。 忠景は岩崎城主の丹羽氏次の姉を妻としていて、長久手合戦の際には、 岩崎城の守備に入り、羽柴方軍の攻撃により落城、討死しました。
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武蔵塚森長可は、森武蔵守長可と自称し、その秀でた武勇から鬼武蔵と称された。 小牧長久手の戦いでは、義父の池田恒興(勝入)とともに秀吉方として参戦。 徳川方の背後を突く作戦に出ましたが失敗し、長久手で戦死..
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岩崎城織田信秀により、尾張の国の東端を守備する支城として築城されたとのこと。 小牧長久手の戦いに際しては、岡崎城を目指していた羽柴方と戦い、落城。 現在は、愛知県日進市の歴史記念館となっています。
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長久手古戦場碑天正12年(1584年)に、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の間で戦いが発生。 両軍は小牧付近で睨みあいを続けましたが、その中で秀吉軍が徳川軍の背後 を突こうとして発生したのが、長久手の戦い。徳川軍の..