記事「愛知」 の 検索結果 7274 件
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清正公石曳きの像加藤清正は秀吉子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍にも数えられている武将。 関ヶ原の戦いでは徳川方につき、その功により熊本藩主となりました。また、 慶長15年(1610年)の名古屋城の普請にあたっても大..
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名古屋城姫路城、熊本城とともに日本三名城に数えられている城で、「尾張名古屋は 城で持つ」といわれています。織田信長誕生の城と云われる那古野城跡に 徳川家康が築城しました。現在、本丸御殿の復元工事中です。
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織田信長と濃姫像清洲公園内にあり、夫婦円満、必勝祈願等のパワースポットとのことです。 織田信長の像は桶狭間出陣の時の様子を表し、桶狭間の方を向いています。 濃姫の像は、平成24年に天守閣近くからここに移設されてき..
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清州城織田信長の初期のころの居城で、桶狭間の戦いもこの城から出陣しました。 本能寺の変の後、清須会議が開かれた場所としても知られています。また、 小牧長久手の戦いの時は、織田信雄の居城でした。
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清洲古城跡清洲城は、かつて織田信長の居城であり、ここから桶狭間に出陣もした城。 関ヶ原の戦いまでは、清洲は尾張の中心地でしたが、慶長14年(1609年)に 徳川家康により、城下町ごと名古屋に移され、清洲城は..
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小牧山城織田信長が桶狭間の戦いの後、美濃攻略の拠点として築城した城。美濃攻略 後、信長が岐阜に本拠地を移すと小牧山城は廃城となりましたが、小牧長久手 の戦いでは、徳川家康の本陣として重要な役割を果たしまし..
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二重堀砦跡小牧長久手合戦の折、秀吉方が築いたとされる砦の跡。 徳川方の小牧山に対する最前線の砦で、日根野備中守弘就が布陣。 現在は、砦の遺構などは全くなく、小さな祠と碑があるのみです。
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岩崎山砦跡天正12年(1584年)の小牧長久手の戦いの時に築かれた秀吉方の砦。 徳川、織田連合軍の拠点である小牧山を望むことができる最前線の砦で、 稲葉一鉄が4千の兵を率いて布陣したと伝わっています。
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五枚岩五枚岩は、花崗岩が風化浸食作用により5枚に分離したもので、 愛知県小牧市の岩崎山にあり、県の天然記念物に指定されている岩。 岩崎山は、小牧長久手合戦の際には、秀吉方の陣所にもなった所です。
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楽田城址楽田城は犬山城と小牧城のほぼ真ん中にある平城。小牧長久手の戦い の際には、羽柴秀吉も入り、羽柴軍の拠点となった城です。また、天守が つくられたことが記録に残る最古の城だそうです。
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羽黒古戦場小牧長久手合戦の緒戦になったのが羽黒(八幡林)の戦い。 岳父の池田恒興とともに秀吉方についた森長可は3千の兵力で羽黒に出陣。 徳川方の酒井忠次等の5千の軍がこの森軍を攻撃して敗走させました。
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八幡林古戦場・野呂塚天正12年(1584年)の小牧長久手合戦の始まりとなった古戦場。 南下してきた羽柴方・森長可勢と北上してきた徳川方・酒井忠次勢が戦い、 森勢は敗走、その時、森勢の野呂助左衛門が討死をしたのがこの場..