記事「新潟」 の 検索結果 9344 件
-
加賀の井酒造訪問記(2014/08/15)18きっぷでの旅行の際 糸魚川駅で乗り換え時間が1時間あることが判明し 観光案内所に駆け込んだところ 紹介された酒造が加賀の井酒造さんでした (関東でも見かけることはありますね) (まさか糸..
-
上杉謙信墓(林泉寺)上杉謙信は天正6年(1578年)3月9日、遠征の準備中に春日山城内 の厠で倒れ、3月13日の未の刻(午後2時)に急死したとのことです。 春日山城のすぐ近く、上越市中門前の林泉寺に上杉謙信の墓所がありま..
-
上杉景勝屋敷跡上杉景勝は上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で上杉宗家17代目。 上杉謙信の甥に当たり、長兄が早世したので長尾家の世子となりましたが、 永禄7年(1564年)に春日山城に入って謙信の養子となったとの..
-
春日山城跡春日山城は現在の新潟県上越市にあった山城で、上杉謙信の城として知られています。 「春日山」の名称は奈良の春日大社から分霊勧請した春日神社に由来する とのことですが、春日神社の創建年代は諸説あり、はっき..
-
毘沙門堂(春日山城)新潟県上越市の春日山城跡に、復元された毘沙門堂が建てられています。 戦国武将の上杉謙信は毘沙門天を深く信仰し、出陣前には必ず毘沙門堂 にこもって策を練り、勝利を祈願したと伝わっています。
-
直江山城守宅跡直江兼続は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で上杉氏の家老。 永禄7年(1564年)に長尾政景が死去すると上杉輝虎(謙信)の養子となった 政景の子顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入ったと伝わ..
-
上杉謙信像(春日山城跡)戦国武将上杉謙信の城として知られる春日山城跡に建つ上杉謙信像。 上杉謙信は享禄3年(1530年)1月21日、春日山城内に生まれ、最期は春日山城内で倒れ、天正6年(1578年)3月13日に急死したとのこ..
-
春日山神社春日山山腹に鎮座する神社で、米沢の上杉神社より分霊された上杉謙信命をお祀りしています。 明治20年(1887年)、祭神の遺徳を慕う旧高田藩士小川澄晴が発起し前島密らの援助を受けて、明治34年(1901..
-
上杉謙信像(上越市埋蔵文化財センター)上杉謙信は戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の戦国大名で、 後世、越後の虎や越後の龍、越後の獅子、軍神と称されました。 長年にわたる武田信玄との川中島での戦いは特に世に知られています。
-
北越戊辰戦争西軍殉難者墓地北越戊辰戦争の際、小千谷には新政府軍の本営が置かれ、 各地の戦いでの戦死者の遺体が小千谷に送られて来たそうです。 それらの戦死者の墓が慈眼寺の近くの船岡公園にあります。
-
小千谷会談の間北越戊辰戦争開戦の直前、長岡藩の軍事総督河井継之助と新政府軍の軍監岩村精一郎が談判したのが小千谷にある慈眼寺。 その会見の間が、現在でも慈眼寺に保存されています。
-
榎峠古戦場碑榎峠は長岡と小千谷の間にある峠で、北越戊辰戦争の時の激戦地。 開戦前は新政府軍が占拠していましたが、開戦直後に同盟軍がこれを奪取。 県道589号線沿いに、榎峠古戦場パークがあり、そこに碑があります。