記事「新潟」 の 検索結果 9344 件
-
小川家累代奥津城新潟県上越市の春日山城跡にある、春日山神社の祭主を務めたのが 小川家で、小説家・児童文学作家の小川未明はこの家の出だそうです。 奥都城とは上代の墓、神道式の墓のことで奥津城とも書くそうです。
-
上杉景勝屋敷跡上杉景勝は、上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で、上杉宗家17代目。 上杉謙信の甥に当たり、長兄が早世したので長尾家の世子となりましたが、 永禄7年(1564年)、春日山城に入って謙信の養子とな..
-
春日山城跡新潟県上越市にあった山城で、上杉謙信の城として知られています。 「春日山」の名称は、奈良の春日大社から分霊勧請した春日神社に由来する とのことですが、春日神社の創建年代は諸説ありはっきりしていない..
-
毘沙門堂(春日山城)新潟県上越市の春日山城跡に、復元された毘沙門堂が建てられています。 戦国武将の上杉謙信は毘沙門天を深く信仰し、出陣前には必ず毘沙門堂 にこもって策を練り、勝利を祈願したと伝わっています。
-
直江山城守宅跡直江兼続は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、上杉氏の家老。 永禄7年(1564年)に長尾政景が死去すると上杉輝虎(謙信)の養子となった 政景の子顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入っ..
-
上杉謙信像(春日山城跡)戦国武将上杉謙信の城として知られる、春日山城跡に建つ上杉謙信像。 上杉謙信は、享禄3年(1530年)1月21日、春日山城内に生まれ、最期は 春日山城内で倒れ、天正6年(1578年)3月13日に急死..
-
春日山神社米沢の上杉神社より分霊された、上杉謙信命を祀る春日山山腹にある神社。 明治20年(1887年)、祭神の遺徳を慕う旧高田藩士小川澄晴が発起し、 前島密らの援助を受けて、明治34年(1901年)に創祀..
-
上越市埋蔵文化財センター春日山城跡の麓にある、上越市内の埋蔵文化財を研究・保管・公開する 施設で、市内の歴史に関する展示のほか、調査室の大きな窓からは、 出土品の整理や復元作業を見ることができます。
-
上杉謙信像(上越市埋蔵文化財センター)上杉謙信は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の戦国大名で、 後世、越後の虎や越後の龍、越後の獅子、軍神と称されました。 長年にわたる、武田信玄との川中島での戦いは、特に世に知られています。
-
天皇皇后両陛下歌碑平成16年(2004年)10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震は、 震源にも近い、新潟県長岡市山古志にも甚大な被害をもたらしました。 平成21年に闘牛場が再建され、天皇皇后両陛下の歌碑が..
-
山古志闘牛場新潟県長岡市山古志に古くから伝わる、山古志の「牛の角突き」の会場。 牛への思いやりから生まれたルールがあり、勝敗をつけないことが特色で、 日本で唯一、国の重要無形民俗文化財に指定されているとのこと..
-
北越戊辰戦争西軍殉難者墓地北越戊辰戦争の時には、小千谷には新政府軍の本営が置かれ、 各地の戦いでの戦死者の遺体が小千谷に送られて来たそうです。 それらの戦死者の墓が、慈眼寺の近くの船岡公園にあります。