記事「新潟」 の 検索結果 9344 件
-
河合継之助邸跡河井継之助は幕末期の越後長岡藩の家老で、北越戊辰戦争を主導し、 武運拙く銃弾で負傷して悲壮な死を遂げた人物。 新潟県長岡市長町に河井継之助の屋敷跡があり、現在は河合継之助記念館になっています。
-
八丁沖古戦場八丁沖は長岡城の北東部に広がる当時は広大な沼沢地域だったところ。 慶應4年(1868年)7月24日の深夜、長岡城奪還を目指す長岡藩兵約680名が 約6時間を費やしてこの八丁沖を渡渉、長岡城を奇襲して奪..
-
大黒古戦場大黒古戦場は会津戦争以上と云われた北越戊辰戦争の最大の激戦地。 新政府軍が堡塁を築いていた跡が現在では大黒古戦場パークとして整備 され、山本五十六中将の揮毫による「戊辰戦績記念碑」等があります。
-
東軍第二砲台場跡北越戊辰戦争の激戦地の一つで、八兆沖と呼ばれた沼の北に位置し、 長岡城の奪還を目指す長岡藩軍を中心とする同盟軍が砲台を置いた場所。 長岡藩軍が慶應4年(7月25日)の夕刻、八兆沖の渡渉を開始した地点と..
-
永閑寺新潟県見附市今町にある真宗大谷派のお寺。元和9年(1623年)の開山で、御本尊は約500年前の作の阿弥陀如来。 北越戊辰戦争の時には新政府軍が本陣をおき激戦地となりました。
-
北越戊辰戦争 弾痕新潟県見附市今町に残る北越戊辰戦争の時の弾痕。 この弾痕は長岡城の奪還を目指す長岡藩軍が新政府軍の守る今町を 攻撃した、所謂「今町奪還作戦」の時の弾痕と伝えられています。
-
坂井神明社新潟県見附市坂井にある神明社。 北越戊辰戦争の際には、長岡城の奪還を目指す長岡藩の山本帯刀が ここに陣を置き、砲台を据えて今町攻撃の前線基地となりました。
-
加茂本陣跡北越長岡戦争で新政府軍の攻撃により長岡城が落城。 再起を期した河合継之助は、加茂の大庄屋市川邸に本陣を構えました。 また後に、明治天皇が北陸御巡幸の際、この地でお食事をとられたとのことです。
-
旧笹川家住宅笹川邸は新潟県新潟市南区味方にある歴史的建造物。 慶安2年(1649年)から明治維新まで、9代にわたり大庄官を続けた旧家。 1万4千平方メールの敷地があり、母屋など11棟他が国の重要文化財です。
-
千曲川千曲川は埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する甲武信ヶ岳の長野県側 斜面を源流とし、諸河川と合流しつつ佐久盆地、上田盆地を北流しています。 新潟県域では信濃川と呼ばれ、信濃川は日本で一番長い川とな..
-
上杉謙信墓(林泉寺)上杉謙信は、天正6年(1578年)3月9日、遠征の準備中に春日山城内 の厠で倒れ、3月13日の未の刻(午後2時)に急死したとのことです。 春日山城のすぐ近く、上越市中門前の林泉寺に上杉謙信の墓所が..
-
林泉寺 (上越市)上越市にある、越後国守護代・長尾氏およびその後裔である上杉氏の菩提 寺として知られる曹洞宗のお寺で、境内には上杉謙信のお墓もあります。 江戸時代初期に上杉氏が移封先に建立した米沢市にも林泉寺があり..