記事「日本の歴史」 の 検索結果 495 件
-
横浜開港 神奈川県立歴史博物館Ⅱ1858年の日米修好通商条約では神奈川が開港したものの、そちらは東海道の宿場町なので当時ははずれにあった横浜を開港した。その後の横浜は長崎や箱館・神戸を抜いて突出して貿易額が多く繁栄した。明治20年..
-
円覚寺舎利殿ふたたび 神奈川県立歴史博物館Ⅰ横浜開港当時の資料を見たかったので神奈川県立歴史博物館によった。地下鉄の馬車道駅を出るとすぐに八角形のドームを持つ旧横浜正金銀行本店本館が見えてくる。明治37年築のネオバロック様式のこの建物は、関東..
-
円覚寺舎利殿鎌倉に行くときは大概、北鎌倉で降りて、まず円覚寺に行く。そして円覚寺ではいつも、教科書に出ている舎利殿を思い出す。でも舎利殿は座禅道場の一角にあって、中に入ることが出来ない。遠くから眺めるだけだ。今..
-
円覚寺で座禅体験円覚寺で座禅体験をした。まず和尚さんから座禅の組み方を教えていただく。心がけることは姿勢・呼吸・心の3つ。小さな座布団をお尻の下に敷いて、両足を組み、片足を上に乗せる(結跏趺坐はむずかしいのでこちら..
-
飛騨の円空何年か前に東京国立博物館の仏像展に行った時に、なによりも円空と木喰の仏像が印象に残った。古代から中世の貴族や武士の為の仏像と、江戸時代の二人の仏像は全く違っていた。それまでの仏像は丁寧に作られていて..
-
新井白石とシドッチ 「親指のマリア」昔読んだ司馬遼太郎の「歴史の中の日本」の中で、新井白石とシドッチのことが印象に残った。今回読み直して、二人のことを調べてみた。あのころは興味を持っても調べるのが大変だったけれど、今は興味をもつとすぐ..
-
玉造湯神社・須我神社・八重垣神社 出雲へ11お正月が過ぎて、人が少なくなった玉造温泉に泊まった。翌朝、玉湯川の両側にある温泉街を眺めてから、玉造湯神社に参拝する。 境内には「願い石」という石があるので、よくなでて、お願い事をする。 ..
-
北島國造家と出雲教 出雲へⅩかつては出雲大社の宮司は千家國造家と北島國造家が交代で勤めていたけれど、明治になって一神社一宮司となって、千家國造家が宮司になったという。出雲大社の左手(西側)には神楽殿の巨大な建物や、高さ47メー..
-
加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡 出雲へⅨ出雲大社の宇豆柱とともに島根県立出雲歴史博物館で見たかったのは、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡から発掘された青銅器である。荒神谷遺跡は広域農道建設の為の遺跡分布調査で、1983年に発見された。出土した36..
-
稲佐の浜 出雲へⅧ出雲大社から西にある海の方に向かった。途中に出雲の阿国の墓があった。阿国は出雲大社本殿の修築勧進のために京に上り歌舞伎踊を創始した。織田信長や豊臣秀吉の前でも披露したとお墓の案内板にはあった。 ..
-
雲太・和二・京三 出雲へⅦ出雲大社の本殿の高さは24メートルもある。平安時代にはその倍の48メートルもあったとされる。さらにその前には96メートルあったいわれる。平安時代の貴族の子供たちの教科書「口遊(くちずさみ)」には大..
-
出雲大社 出雲へⅥ出雲大社で宮司を務める千家国造家は、天照大神の第2子の天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫である。天照大神の第1子の子孫が皇室につながって行くのだからすごい家系だ。天穂日は天照大神から国譲りを説得す..