記事「日経新聞」 の 検索結果 2587 件
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(212~217)九月二日、安芸・宮島で幕府と長州藩の休戦協定が結ばれるが、この時、長州藩の代表、桂小五郎に代わって重臣の広沢真臣と向き合った幕府側の代表はたれあろう勝海舟だった。 下関は、戦勝気分に浮か..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(206~211)第一章 3 中島作太郎が和歌山から帰って来た。中島は近藤の自死を聞いて、どうして止められなかったのか、と小二郎を詰問した。 「僕のピストルが、初めて人間の命を奪った」 とだけ、小二郎は答..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(202~205)近藤が下関から戻って数日後、彼は寮の談話室で十数人の同志に取り囲まれた。 近藤は冷静に語った。――我々亀山社中は、あくまで商品の輸出入業務を買主・売主に代わって行う代理店、商社であること..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(196~201)三番目の勝負の決着がなかなか付かない。 「一度、西郷に会ってみられよ」 「何を言われるか。薩摩こそ我々を京から追放した張本人ではないか」 「しかし、薩摩の大勢は倒幕に傾いています。恐ら..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(190~195)龍馬たちは長崎へ向かう途中、熊本・沼山津に横井小楠を訪ねた。 小楠の帰国後、熊本藩は彼の「士道忘却事件」の処分を決めた。死罪は免れたが、知行召上げと士藩剥奪という厳罰である。小楠は無収入..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(184~189)海舟は既に幕府を見限っていた。自分はその幕府の軍艦奉行なのである。神戸だけは何とか守らねばならぬ……。 西郷の一行は海舟への挨拶もそこそこに、広大な操練所の中を二時間近くかけて、訓練の様..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(178~183)第一章 2 元治元年(一八六四)二月、西郷隆盛は沖永良部島の鳥籠牢から解放された。 巨漢だった西郷は痩せ細り、歩けないため這いずって、崇敬する先代藩主島津斉彬の墓に詣でた。 しかし、三..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(171~177)第二部 第一章 1 余と三浦介雄は山形より移送され、明治十二年十二月二日、雪の舞う仙台に到着、片平丁の宮城県監獄に入った。駕籠に乗せられての檻送だが、余に較べ三浦の駕籠はみすぼらしく、誠に気の..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(166~170)伊藤俊輔たち長州留学生五人(長州ファイブ)の名前は、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの学生名簿の中に、確かに残っている。 彼らがロンドンで受けた“西欧文明”の衝撃度は、上海の比では..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(160~165)小二郎は、五年前、板谷統一郎が原因で、代官夫人の信頼を損ねてしまったという後悔と悲しみの余り、吉野川の橋の上で流した涙を忘れたことはなかった。 彼は矢も楯もたまらず、入郷の岡左仲に手紙を..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(154~159)「朝彦親王様、勅諚を取り消すことの出来るのはどなたですか?」 中川宮は一瞬、耳を疑った。 「それは無論、勅諚を発された張本人……」 「私はこれから参内します」 桂は、中川宮より遅れ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(148~153)「天皇の召される御車は鳳輦にて、御旗は日月を画き候一本、四神を画き候四本、すべて五本を御旗本の印を致し、旗指は力士を兼ねて五条家に御呼出し置きなきくされ度く候……」 まるで祝詞をあげるよう..