記事「日経新聞」 の 検索結果 2587 件
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(74~79)「高岡要!」 「知っておるのか?」 「私は町飛脚の仕事で、日々食いつないでおります。小石川の高岡様には一度手紙を届けましたし、言葉を交わしたことが」 「……小次郎、九年間苦労をかけたな。..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(68~73)出版の形態には「町版」と「私刻本(私家版)」があり、「町版」は商業出版を意味して幕府の検閲もあった。 「小宮山」の番頭は、『大勢三転考』を町版で出すことは難しい、私家版ならと応じた。 ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(62~67)江戸の街に解き放たれた小次郎は、大都会の細民となって、様々な業種の日銭仕事をこなしながら、週に一度、欠かさず三計塾に通い、寸暇を惜しんで本を読んだ。薬研堀の薬種屋では住み込みで草の根や木の..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(56~61)安政七年(一八六〇)三月三日は「上巳の節句」(桃の節句)で、諸大名はこぞって祝いの登城をする。 抜刀した一団の刺客が、彦根藩の行列に襲い掛かった。 井伊大老は弾丸を浴びて腰部から大..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(50~55)第一章 3 孝明天皇は、日米修好通商条約の勅許を拒絶した。堀田正睦は上京の目的を達せないまま、江戸に帰らざるを得なかった。しかし、幕府が、天皇から条約調印の許可を得ようとしたこと自体、前代未..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(44~49)第一章 3 昨年末、余は慌しく新しい獄舎に移された。 新獄舎は、以前、長期間女囚の裁縫場だったらしく、壁板の目地や床の隙間などから風が吹き抜ける時、ふと女体の微かな残り香が匂い立つような..
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日本経済新聞【NIKKEIプラス1】特集「気分はハイジ 絶景ブランコ」で選者を務めました2023年4月15日付【日本経済新聞(土曜版)NIKKEIプラス1】の特集「気分はハイジ 絶景ブランコ」で選者を務めました。
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(41~43)その翌日、小二郎は「江戸在番屋敷」から岡左仲への飛脚便を受け取りに、再び五条の「日高屋」へ行かなければならなかった。 「火が点いたぞ。ほれ、急げや。鬼走りが来るぞ!」 前方から声が上..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(35~40)「そうか。それなら代官所の主膳館へ通うたらどうや。授業料は免除で、立派な先生がおられる。最近、森鉄之助という学者が主任教授に就かれたばかりや」 「私は以前、父からその先生の名前を聞いたことが..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(29~34)「江戸表は不穏でございます」 と岡は書き出していた。 昨年六月、米使ペリーが軍艦四隻を率いての開国要求、米国ばかりでなく、露国、英国の艦隊も襲来し、開国通商の要求で、江戸城は上を下..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(23~28)東家の一色春信は、母子をあたたかく迎えた。 陸奥母子の四人は、一色家の離れや近隣の小原田村、恋野村などに一色の世話で仮住まいするが、いずれも短期間で引っ越している。一家の流転は一年余り続..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(17~22)第一章 2 紀州藩が最も活気に満ち、精細を放っていたのは、第十代藩主徳川治宝の時である。 陸奥宗光の父、伊達藤二郎宗広が、十五歳で小姓として出仕以来、治宝が没するまで三十六年間にわたって仕..