記事「日経新聞」 の 検索結果 2588 件
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『等伯』(193&194)「皆さんはこの序文をどのように聞かれたでしょうか。生きとし生けるもの、いずれか歌を詠まざりける、という意味は分かります。しかし、力をも入れずして天地を動かす、とはいったいどういうことでしょう..
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『等伯』(192)「私は伝授を受けておりませんので、内容については分かりません。しかしこのようなものがあるために、和歌の世界がどれほどねじ曲げられているかについてはよく分かっています。伝授を受けた歌人やその弟..
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『等伯』(191)「私は広橋家という公家に生まれ、幼い頃から和歌の道を進みたいと思っておりました。どうしてそうなったのか分かりません。物心ついた頃から歌が上手とほめそやされ、もっともっといい歌を詠んでみんなに..
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『等伯』(190)四月八日の花祭りは、奇しくも静子の父母の九回忌だった。静子はこの講話を供養の場にしようとしていた。 日眞(示+眞)は白小袖の上に黒い法衣をまとった清楚な姿で登場した。 「皆さま、今日..
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『等伯』(189)戦国時代の後期になって、宗教に対する庶民の関心はおどろくほど高くなっていた。 理由のひとつは、明日をも知れぬ混乱の時代なだけに、誰もが宗教の絶対性に心の平安を求めるようになったこと。 ..
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『等伯』(187&188)常緑坊にもどると、久蔵はアルメイダの病院に行っても大丈夫だと、静子に説いた。 「診察はモニカという日比屋さんの娘さんがして下さるそうです」 「その方は、キリシタンになられたのですか」 「ア..
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『等伯』(185&186)後に信春は近衛家への出入りを許され、ふすま絵などを手がけるようになる。親しい関係をきずけたのは、黒井城にいた頃に苦難をともにしたからだった。 ところが天正三年(1575)になると、信長は明..
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『等伯』(183&184)「修道師さまは四月末に豊後にお戻りになります。なるべく早く診察に来て下さい」 モニカは外まで信春らを見送り、久蔵の手に小さなお菓子を握らせた。金平糖(コンフェイト)というポルトガルから伝わっ..
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『等伯』(181&182)アルメイダに会う順番を待つ間、信春は患者の顔を指で太股に描いていた。 目で見ただけでは忘れるが、描いたものは決して忘れない。それゆ己の体に記憶として刻みつけるのだった。 「父上、足がかゆいの..
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『等伯』(179&180)「すみません、そうさせていただきます。」 信春は素直に従ったが、その前にひとつだけお願いがあると言った。 「家内が南蛮の医者を怖がっているようなので、私が下見に行って安心させてやりたいので..
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日本経済新聞日本経済新聞に苦手意識がある方へ 日本経済新聞の読み方 2011-2012年版
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『等伯』(177&178)「あの……、何か失礼なことを申し上げたのでしょうか」 「母さま、違います。先学に地球は一日一回自転し、一年に一回太陽の周りを回ると教えていただいたのです」 「近頃はみんなヨーロッパのものが優れ..