記事「日経新聞」 の 検索結果 2588 件
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『等伯』(164)「静子、久蔵、起きろ」 「どうかされましたか」 「信長が上京を焼討ちする。逃げる仕度をしておいてくれ」 「あなたは」 「日賢に知らせてくる」 信春が本堂に向かうと、日賢のまわりに十..
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『等伯』(163)その日、信春は明け方まで山水花鳥画を描いていた。 空気感をとらえなければ牧谿の境地に迫れないが、これは至難の技だった。 遠くで半鐘の音がした。やがて鉄砲を撃つ音がまばらに聞こえた。 ..
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『等伯』(161&162)下京に入ると町は騒然としていた。足利義昭の奉行衆たちが、都の守りを固めるために鴨川に逆茂木を植え土木に柵をめぐらしていてた。桜の木まで切り倒して柵や逆茂木にしている。 「どうやら今年の桜は見ら..
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『等伯』(159&160)<信長の使者ども追い返され、武田、上杉、浅井、朝倉らをはじめ、五畿内、四国、西国までも信長追討の御教書を下され、御合戦の御用意にて、先に江州石山、堅田に要塞を構えらる> 義昭が信長に宣戦布..
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『等伯』(157&158)信春は石山本願寺で写させてもらった伺い下絵の中から、教行院の間取りに近いものを選び出した。 方丈のふすま絵で、仏間の室中に山水花鳥画、檀那の間に琴棋書画図、例の間に瀟湘八景図が配されている。..
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『等伯』(156)「絵がお好きですか」 「お茶室の軸を見ている程度です」 「油屋さんは、名画をたくさん持っておられるのでしょうね」 「絵の良し悪しは分かりませんが、祖父の代から集めたものが五十点ばかりあ..
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『等伯』(155)まさにその通りである。これしきの成功に有頂天になるとは、何と浅墓な了見か。 側では静子が尊像に向かって手を合わせ、静かに涙を流していた。絵を見ただけで、日堯上人がどれほど多くのものを信..
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『等伯』(154)翌日から信春は天気のいい日を選び、静子と久蔵をつれて都見物に出かけることにした。 真っ先に訪れたのは大徳寺である。 古渓宗陳がいれば牧谿の観音猿鶴図を見せてもらえるかもしれないと思ったが..
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『等拍』(152&153)日賢は小気味良げに、織田と徳川の連合軍が三方ケ原の戦いで武田信玄に大敗したと言った。 「武田勢はそのまま尾張に兵を進め、浅井、朝倉勢が美濃に攻め込んで信長をはさみ撃ちにすると、もっぱらの噂でご..
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『等伯』(151)本法寺は一条戻り橋の近くにあった。 寺に着くと執行の日賢が頭を低くして迎えた。 自ら教行院に案内し、今日から三人で自由に使ってくれという。身の回りの世話をさせるために、二人の小僧までつけ..
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『等伯』(150)信春が静子と久蔵をつれて都に着いたのは、元亀三年(1572)十二月下旬のことだった。 八月中頃に敦賀を出て翌日に由良についたものの、丹波方面への信長軍の攻勢が強まり、自由に往来ができなくなっ..
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『等伯』(149)「お前が教如さまのご尊像を描いたと聞いた時は嬉しかったが、この知らせは別格だ」 「私は絵師としてこの仕事を引き受けたばかりです。畠山家のことは関係ありません」 「頭ではそう考えているかもしれぬ..