記事「日経新聞」 の 検索結果 2587 件
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『ふりさけ見れば』(238~243)同じ年の十月、玄宗皇帝は二年九ヵ月の洛陽皇滞在を切り上げ、長安への帰還をはたした。そこで平群広成らも長安に移り、仲麻呂の協力援助を得て帰国の方策をさぐっていたのだった。 馬車は朱雀門街に..
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『ふりさけ見れば』(232~237)翼と翔が指揮をとり、中臣文麻呂以下十二人が運び込まれた者たちの看護や治療に当たった。 遺体をどう処理するかも大きな問題だった。 「やむを得ぬ。隣の空地を使わせてもらえ」 「長屋王さま..
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『ふりさけ見れば』(226~231)真備は文麻呂を従え、牛車に乗って典学寮に向かった。 都の所々から煙が立ち昇っているのは、痘瘡で死んだ者は火葬にせよという指示が典学寮から出ているからである。 真備は荒地の近くで上がる..
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『ふりさけ見れば』(220~225)遣新羅使には大宰府からの使者も同行している。その中に真備の知り合いの大伴三好の姿もあった。 「恐れ入りますが、それ以上は近付かないで下さい」 柿色の口当て(マスク)をした三好が部屋の入..
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『ふりさけ見れば』(214~219)「本日お伺いしたのは、お願いがあるからでございます」 真備は居住まいをただし、葛城王の賜姓問題について切り出した。 「そのことはすでに決まっとると聞いたが」 「葛城王さまが朝議をご欠..
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『ふりさけ見れば』(208~213)「中臣名代どの、ご帰朝おめでとうございます。よくぞご無事でいて下された」 真備は唐風に拱手して迎えた。 「おお、真備どの。お懐かしゅうございます」 真備は名代だけを船宿に案内した。..
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『ふりさけ見れば』(200~「もしここで朝廷が禄山の処刑を強行したなら、幽州を守る兵士たちの不満と怒りが陛下に向かうと思わないか」 「確かにそうだ。いや、そうなるに違いない」 王維は仲麻呂の論理の器に、水にのよう..
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『ふりさけ見れば』(194~199)「本当に受けとるつもりはありませんので」 「いいのですか。こちらの好意を拒めば、付き合いを断つと言うも同じですよ」 「それは言いがかりというものです。私は立場上受け取れないと言っているだ..
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『ふりさけ見れば」(188~193)国の基本は律(刑法)と令(行政法)である。中でも軍法は何より厳しく守られるべきもので、私情や温情によってこれを曲げれば、軍隊を維持することはできなくなり、国家の滅亡を招く。 九齢はそう..
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『ふりさけ見れば』(182~187)仲麻呂が王維に資料を渡された二日後、玄宗皇帝は張九齢と李林甫を御前に召し、寿王李瑁を開府儀同三司に任ずるべきかどうか諮問した。 まず口を開いたのは、李瑁を推した李林甫だった。 「開府..
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『ふりさけ見れば』(176~181)すると高力士が、真成に尚衣奉御の位を贈るように取り成したのは、真成の死因を隠すためではなく、急死を悼んでのことだろう。仲麻呂はそう気付いたが、心は一向に晴れなかった。 いったい真成は、..
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『ふりさけ見れば』(170~175)五月下旬、仲麻呂は蘇州に向かう中臣名代らを見送るために、洛陽東郊の積潤駅まで行った。 「日本にもどって皆さんに再会されたら、よろしくお伝え下さい。仲麻呂は唐で元気に暮らしていると」 ..