記事「昭和」 の 検索結果 4647 件
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波話§我が家にテレビが来た日1962年の5月頃だったと記憶している。ご近所の中では遅かったほう で、歩いてすぐの親戚の家とかに行って見せてもらっていた。 「家にも早くテレビが欲しい」と、珍しくゴネたせいかどうか、親の ..
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設話§1960年代初期・我が旧き庵の電気製品60年安保の直後、家にあった電気製品を列挙してみると…… 照明器具が辛うじて蛍光灯に転換。ようやくテレビを導入。 5球スーパー程度のラジオ、扇風機、電気炬燵、アイロン。 ……そんなもので..
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幼話§1960年代初期・我が旧き庵は街の中十代の終わり近くまで住んだ家は、小さな地方都市の賑やか な大通りから30mほども入った場所にあった。 そんな立地の3軒長屋であるにもかかわらず、40年前までは 水道と下水がなく、3軒は一つの..
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悼話§吉村昭さん、鶴見和子さん吉村氏の作品にはほとんど縁がなかったが、しっかりしたス タンスで創作活動をされていたということは知っていた。 鶴見さんは、彼女が現役の大学教授だった頃にその大学…… 地上に出た地下鉄の眼下に..
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想話§テレビのディズニーランドとプロレス前の話でちょっと触れたテレビの『ディズニーランド』につ いてもう少し。ただし記憶は途切れ途切れの断片のみ。 たぶん1965年頃には放送が終了していたと思われる。いずれ にしても1950年代末..
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消話§幻の調布“ストロベリーファーム”ずいぶん長いこと行っていないなあと思っていたら、ひょん なところで……ネットで検索してみたのだが……なくなって しまったということを知った。 甲州街道の国領と柴崎の間あたりにあった“ストロベ..
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悼話§佐々木守さんと久世光彦さん一般的に佐々木守は『ウルトラマン』の脚本家として記憶さ れるだろう。だが我々の世代ではむしろ『お荷物小荷物』の 斬新な脚本の作者として記憶されるはずである。 1970年代初め、TBS土曜日午..
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展話§花森安治と『暮しの手帖』展信濃追分の駅舎が編集部になっている『あたらさん』のブロ グで紹介されているのを見かけた。 4月9日まで世田谷文学館で開催。 30年にわたって『暮しの手帖』の編集長を務め、戦後のライ フ..
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悼話§ショパン猪狩さん(コメディアン)「レッドスネイク、カモン!」でおなじみ東京コミックショ ーのショパン猪狩が亡くなった。76歳。 “偉大なるマンネリ”というのはまさに彼と相方である夫人 とのあの50年近くなっても変わらない、..
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書話§柴田哲孝『下山事件―最後の証言』戦後史というものが世代的に身近なためか『下山事件―最後 の証言』をあっという間に読破してしまった。 初代国鉄総裁・下山定則の不可解な死については他殺か自殺 か、はたまたGHQの謀殺か共産党の..
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便話§トイレ事情の劇的な変化思い出して愕然とした。1960年代頃までのトイレ事情である。 日本の都市部で、下水の設置が進んでトイレの水洗化が進行 したのは1960年代~1970年代あたりであろう。それまでは、 各家庭、..
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音話§ビートポップスを覚えていますか?60年代から70年初頭まで、毎週土曜日の午後1時間、フジテ レビが放送していたポップスBEST10番組のタイトルが『ビー トポップス』である。司会は大橋巨泉(!)を挟んで、左右に 星加ルミ子(ミ..