記事「曽我物語」 の 検索結果 27 件
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曽我八幡宮富士宮市上井出に鎮座する源頼朝の命により建久8年(1197年)に建立された神社で、ご祭神は応神天皇、曽我兄弟。この地は新田四郎忠常の陣所に近く、曽我十郎祐成が討たれた所と伝えられている処とのことです。..
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狩宿の下馬ザクラ建久4年(1193年)に源頼朝が富士の巻狩りを行った際、馬からおりた所とされたことから、狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになったとのことです。その際、桜に馬を繋いだとも言われ、「駒止めの桜」という別名も..
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工藤佑経墓伊東荘の領地争いから曽我兄弟の親の仇になったのが工藤佑経。建久4年(1193年)、富士の裾野の巻狩りの最終日の5月28日深夜、工藤佑経は、曽我兄弟により、兄弟の父・河津祐泰の仇として討たれました。
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曽我の隠れ岩静岡県富士宮市の白糸の滝、音止めの滝の近くにある岩。曽我兄弟は親の仇の工藤祐経を終にこの地で討つことになりますが、このとき兄弟は、この岩に隠れて仇討ちの密談をしたと伝わっています。
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実相寺鎌倉の材木座にある日蓮宗のお寺。文永8年(1271年)に、日蓮の弟子の日昭が一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂が始まりとのこと。曽我兄弟の仇討事件で敵とされた工藤祐経の屋敷跡でもあります。 ..
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正眼寺神奈川県の箱根湯本にある正眼寺は曽我兄弟に所縁のあるお寺です。曽我兄弟はこの正眼寺で祈願をしてから仇討に向かったと伝わっていて、境内には、曽我兄弟供養塔、曽我堂、曽我五郎鏃突石などがあります。
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五郎沓石曽我兄弟の弟の方の曽我五郎が足を患いましたが、無事に治り、試しにこの石の上で踏ん張ったところ、石が足形に凹んでしまったのことで、足を患った人々の信仰を集めているそうです。
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城前寺神奈川県小田原市曽我にある浄土宗のお寺で、曽我兄弟の菩提寺。曽我兄弟の育った曽我城の大手前にあるので、城前寺とのことです。境内には、曽我兄弟の墓他、養父曽我祐信、実母満江御前の墓もあります。
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曽我兄弟像(城前寺)曽我兄弟は日本三大仇討の一つである曽我物語の主役。兄弟の父親である河津祐泰が殺されたのち、母親である満江御前が曽我祐信と再婚、兄弟は曽我の地で育つことになlりました。
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曽我兄弟墓(曽我)曽我兄弟の母親である満江御前は、兄弟の父である河津祐泰が殺された後、曽我祐信と再婚し兄弟は曽我の地で育つことになりました。城前寺境内には、曽我兄弟、曽我祐信、満江御前の墓が4基並んでいます。
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曽我兄弟墓(箱根)箱根の国道1号線沿い、精進池の近くに3基の五輪塔があります。これは、古くから曽我兄弟の墓と伝えられているもので、2基並んでいるのが曽我兄弟の墓、もう1基は虎御前の墓とされています。
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低山はいかい 大磯1「化粧坂、ホルトノキ」FIT「低山はいかい倶楽部」の面々と大磯の町山海をはいかい(ここは種々の意味を踏まえて敢えてのひらがな)して参りました。 【コース】JR東海道本線 大磯駅~化粧(けわい)坂松並木~高麗(こま)..