記事「横浜」 の 検索結果 25556 件
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澤辺本陣跡(戸塚宿)戸塚宿は、東海道五十三次の5番目の宿場で、日本橋から旅程がちょう ど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模だったそ うです。戸塚宿の本陣には、澤辺・内田の二軒があったとのことです。..
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脇本陣跡(戸塚宿)横浜市戸塚区戸塚町、国道1号線(旧東海道)沿いにある戸塚宿の脇本陣跡。 戸塚宿には3軒の脇本陣があり、本陣に差し支えがあったとき等に利用されて いたそうです。大名等の宿泊が無い時は一般旅客も宿泊で..
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英一番館跡横浜が開港したのは安政6年6月2日(1859年7月1日)のことで、開港と 同時に多くの外国商社が横浜に進出してきました。ここは居留地1番地で、 英国商社ジャーディン・マセソン商会横浜支店が店舗を構..
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絹と乙女の像開国当時、一番の輸出品は生糸で、横浜港はその最大の輸出港でした。 生糸を横浜港から輸出した英国商社があった歴史的な場所(英一番館跡) にはシルク博物館と、その傍には「絹と乙女の像」が建てられていま..
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横浜海岸協会横浜の開港広場に隣接して建つ日本で最初のプロテスタント教会。当初は 横浜公会として、明治5年(1872年)2月2日に設立されましたが、明治8 年(1875年)に教会堂が建設されて、横浜海岸教会と改..
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ホテル発祥の地万延元年(1860年)、オランダ人船長C・J・フフナーゲルが開業した日本初の 近代ホテル「ヨコハマ・ホテル」が、この地(居留地70番)にありました。このホ テルには、シーボルト父子や画家のW.ハイ..
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ストラチャン商会跡地現在の山下町一帯「旧山下居留地71番地」は、かつては多くの外国商館が建 ちならぶ外国人居留地でした。此処には、汽船会社や保険会社の代理店業務 を手がける英国系貿易商社のストラチャン商会の建物が建っ..
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和蘭式野戦砲横浜市中区山下町のマンションの前に展示されている大砲。ペリーが再度 来日した際、横浜の警備を命じられた松代藩の佐久間象山が用意した大砲 の一つでしたが、断腸の思いでこの地に埋めることなったとのこと..
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ブラントン像横浜市中区の横浜公園内に日本大通りの方を向いて、政府の招きにより来日 した英国人土木技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの像があります。ブラントン は、吉田橋や、横浜公園、日本大通りの設計をしたこ..
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大橋横浜市戸塚区の柏尾川に架かり、国道1号線(旧東海道)が通る橋で、通称 「吉田大橋」とも呼ばれているそうです。歌川広重の、東海道五十三次絵の 戸塚「元町別道」にも描かれている歴史のある橋です。
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江戸方見付跡(戸塚宿)戸塚宿は日本橋から数えて5番目、約42kmのところにあった宿場町。見付とは宿場の出入り口のことで、江戸側の出入り口が江戸方見付。戸塚宿は、ここから西の方に約2.3kmが宿場の範囲でした。
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鎌倉ハム倉庫明治10年、上柏尾村で英国人が、ハム・ソーセージなどの製造を開始。 現在の上柏尾町は当時は鎌倉郡だったため、鎌倉ハムと呼ばれました。 この倉庫は、赤レンガ倉庫と同じころの明治20年代の建造だそうで..