記事「歌舞伎」 の 検索結果 5341 件
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3/6 江戸東京博物館4 歌舞伎、鹿鳴館歌舞伎、2代目市川團十郎が初演し、7代目團十郎がまとめ、現在まで受け継がれてる「助六」。 演目「助六」、助六寿司ってここからきてるんですよね・・・。助六の恋人が「揚巻」。で、お稲荷さ..
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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】昭和13年の国際劇場での猿之助と訥子の彌次喜多道中記のマッチラベル手元にある、昭和13年(1938)8月の浅草・国際劇場での猿之助(二代目)と訥子(八代目)の彌次喜多道中記(昼 東海道中、夜 木曾街道)公演のマッチラベル。 イラストが可愛いね。
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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】明治7年の猿若町 中村座の辻番付手元にある、明治7年(1874)正月の猿若町 中村座の辻番付。 「契状虎の巻」(けいせいとらのまき)、「薮椿誰転寝」(やぶつばきたれところびね)、「浅緑露玉川」(あさみどりつゆのたまがわ) 。 出..
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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】嘉永6年の猿若町 市村座の辻番付手元にある、嘉永6年(1853)1月の猿若町 市村座の辻番付。 「里見八犬伝」(さとみはっけんでん)、「色湊宝入船」(いろのみなとたからのいりふね)、「仇結夢手枕」(あだむすびゆめのたまくら)。 ..
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【西条昇の浅草 歌舞伎史コレクション】嘉永6年の猿若町 河原崎座の辻番付手元にある、嘉永6年(1853)11月の猿若町 河原崎座の辻番付。 「鬼一法眼三略巻」(きいちほうげんさんりゃくのまき)、「容競出入湊」(すがたくらべでいりのみなと)、「姫小松子日の遊」(ひめこまつ..
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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】 嘉永6年3月の猿若町 中村座の辻番付手元にある、嘉永6年(1853)3月の猿若町 中村座での「花覣寎初役」(はなとみますやよいのはつやく)の辻番付。 この時の二番目狂言「与話情浮名の横ぐし」が好評だったため、同年5月に大幅な増補が行わ..
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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】嘉永6年の猿若町 中村座での「与話情浮名横櫛」初演時の辻番付手元にある、嘉永6年(1853)5月の猿若町 中村座での「与話情浮名横櫛」(三代目 瀬川如皐 作)初演時の辻番付。 当初は同年3月に「花覣寎初役」(はなとみますやよいのはつやく)という鏡山物の二番目..
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【西条昇の浅草歌舞伎史コレクション】文久2年の「猿若三座 役者藝評 楽屋廻四拾八癖 一名芝居虫眼鏡」手元にある、文久2年(1862)の「猿若三座 役者藝評 楽屋廻四拾八癖 一名芝居虫眼鏡」。 当時の猿若町にあった中村座、市村座、守田座の人気歌舞伎役者たちの給金の額から藝評までが一覧表的に書かれてい..
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【西条昇の浅草芸能史コレクション】明治中期の常盤座のビラ手元にある、明治中期の浅草公園第六区 常盤座のビラ。 十二階、花屋敷、パノラマ館、撃剱、常盤座など、当時の浅草六区の名物を折り込んだ浅草拳と共に、百姓大隠居の十作 中村嘉十、庄屋正直正右エ門 勝川又..
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【西条昇の上方演芸史コレクション】京都・南座での吉例漫才顔見世大会のプログラム手元にある、昭和30年代の京都・南座での吉例漫才顔見世大会のプログラム。 南座で例年行われている歌舞伎の吉例顔見世興行の漫才版であり、松竹芸能の前身である松竹新演芸の提供によるものだ。 出演は、上..
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【西条昇の浅草歌舞伎史研究】観音裏の宮戸座跡之碑昨日、観音裏の浅草見番で文学座有志による久保田万太郎作品「夜長」「あしかび」を観劇した帰りに、浅草見番の並びにある宮戸座跡之碑の前で。 宮戸座は明治20年に吾妻座として開場。明治29年に宮戸座と改称..
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【西条昇の浅草歌舞伎コレクション】中村座から猿若座に座名を改めていた頃の絵本役割手元にある、明治13年1月と同14年4月の猿若町の猿若座の絵本役割。 この時期、中村座が猿若座と座名を改めていたのだ。 かん三郎座だった時期もある。 明治13年1月は團十郎、宗十郎ら、明治14年..