記事「歌舞伎」 の 検索結果 5341 件
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【西条昇のアイドル論】歌川国芳「役者気取贔屓びいき」歌川国芳「役者気取贔屓びいき」。 江戸時代も今も、イケメン・アイドルに憧れる女性ファンの心理は変わらないね。
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【西条昇の猿若町歌舞伎コレクション】幕末の錦絵「猿若三座豊饒宴芸穐」手元にある、幕末の芳幾画の錦絵「猿若三座豊饒宴芸穐」。 当時の猿若町の三座に出演中の市川小団次、坂東三津五郎、中村福助、中村芝翫、市村羽左衛門、沢村田之助、尾上梅幸、片岡仁左衛門といった役者たちの..
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【西条昇の浅草ストリップ・コレクション】昭和25年に東劇の歌舞伎と並んで読売新聞に掲載された浅草ロック座の広告昭和25年5月の読売新聞の浅草ロック座の広告。 永井荷風がロック座のために書き下ろした戯曲「渡り鳥いつ帰る」の他、吾妻京子やハニー・ロイらが出演のロック・バーレスク・ショウ「好色タイム」、決死の舞台..
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【西条昇の浅草芸能散歩】浅草・猿若町跡探索②江戸三座かつて旧・猿若町にあった市村座、中村座、守田座の跡を訪ね歩く。 それぞれ解説のプレートが立ち、市村座の跡には石碑も建てられている。
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【西条昇の浅草芸能散歩】浅草・猿若町跡探索①待乳山聖天にお参りした後、かつて江戸三座のあった浅草・猿若町跡を探索。 天保13年(1842)に 幕府は堺町・葺屋町一帯にあった芝居小屋を浅草聖天町に移動させ、聖天町は猿若町と改名。 猿若町は、中..
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【西条昇の浅草芸能コレクション】九代目・團十郎らの錦絵「浅草公園に意浮立かっぽれ節」手元にある、錦絵「浅草公園に意浮立(こころうきたつ)かっぽれ節」。 明治19年(1886年)1月の新富座で演じられた「初霞空住吉(はつがすみそらもすみよし)」を豊原國周が描いたものだ。 初代・豊年..
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【西条昇の浅草芸能コレクション】浅草・猿若町の河原崎座の絵本番付手元にある、浅草・猿若町の河原崎座の弘化4年(1847)の興行の絵本番付。 当時、河原崎座は森田座の控櫓として興行を行っていた。 立作者の河竹新七は、のちの河竹黙阿弥である。
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【西条昇の歌舞伎コレクション】大正13年9月の浪花座での二代目・市川右團次による「法界坊」のチラシ手元にある、大正13年9月の道頓堀・浪花座での二代目・市川右團次(ここでは右團治の表記)による「水中演藝 法界坊」のチラシ。 「法界坊」はケレンの名人と言われた父である初代・右團次から二代目が受け..
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【西条昇の歌舞伎コレクション】明治40年4月の明治座での市川右團次の三ツ面所作事の番付手元にある、明治40年4月の明治座での初代・市川右團次による三ツ面所作事の番付。 Wikipediaによれば、右團次は、「宙ギバ」と呼ばれる「舞台上の高所から舞台上に飛び降りる際、屈伸したり手をつい..
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【西条昇の歌舞伎コレクション】明治40年6月の明治座での市川右團次「あやつり三番叟」の番付手元にある、明治40年6月の明治座での初代・市川右團次による「あやつり三番叟」の番付。 市川右團次はケレンを得意とし、この「あやつり三番叟」では舞の足取りを踏みながら宙に舞い上がっていくという舞踊と..
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【西条昇の浅草芸能コレクション】浅草で活躍した七代目・澤村訥子の役者絵手元にある、七代目・澤村訥子の役者絵。 宮戸座、常盤座、吾妻座、澤村座など、主に浅草の小芝居で長く活躍し、〈猛優〉の異名を取った。 花道を三歩半で駆け抜けたと言われているから、走り幅飛びの選手にな..
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【西条昇の往年の浅草写真と同じ場所の現在をほぼ同じ角度から撮ってみたシリーズ2】観音裏の宮戸座の絵葉書と現在の宮戸座跡明治43年(1910)8月の大洪水の際の浅草観音裏の宮戸座の前の絵葉書と、平成28年(2016)元旦の宮戸座跡の前。 そば処の「弁天」の斜め向かいにあり、現在は料亭「婦志多」になっている。 宮戸座..