記事「歴史」 の 検索結果 41425 件
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京都探訪137 大雲院・祇園閣の特別公開4 総門・書院・本能寺の変の際、二条御所に入った信忠写真は大雲院の総門を9月20日に撮ったものです。大雲院の小冊子には、「総門は東京から移築されたもので、旧宮の門と伝えられている」と記されています。 大雲院の書院には入れませんでしたが、書院はか..
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京都探訪136 大雲院・祇園閣の特別公開3 鐘楼・信忠の法名に因んだ寺名・本能寺の変での信忠のミス写真は大雲院の鐘楼を9月20日に撮ったものです。大雲院の小冊子によれば、この鐘楼は豊臣秀頼が北野神社に寄進したものであり、梵鐘は祇園感神院(現・八坂神社)にあったもので、梵鐘には延徳2年(1490)..
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京都探訪135 大雲院・祇園閣の特別公開2 安土宗論の時に信長から贈られた軍配団扇写真は大雲院の特別拝観の受付入口がある南門を9月20日に撮ったものです。後ろに写っているのが本堂です。本堂には本能寺の変で亡くなった織田信忠像も安置されていたのですが、遠い上暗いので、よく見えません..
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京都探訪123 清風荘の庭園・岡義武氏の「近衛文麿」 近衛文麿が清風荘の西園寺公望を初めて訪ねる写真は西園寺公望の京都別邸であった清風荘の庭園を昨年11月10日に撮ったものです。西園寺公望の死後は、住友家によって保管されていましたが、昭和19年6月に京都大学に寄贈されました。西園寺公望は文部..
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京都探訪122 坂本龍馬の墓からの眺望・磯田道史氏の「龍馬史」 寺田屋事件の真相写真は霊山の坂本龍馬と中岡慎太郎の墓のあるところから、京都の町並みを2月22日に撮ったものです。見晴らしがよくきく場所に墓は建っています。 「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬暗殺の瞬間に迫る」で磯..
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京都探訪119 土佐藩邸碑・「龍馬伝」では今井信郎説・「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬暗殺」3写真は高瀬川沿いにある土佐藩邸碑を撮ったものです。NHKの番組「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬暗殺の瞬間に迫る」で説明されていたように、龍馬が隠れていた近江屋と土佐藩邸とは通りをはさんでいるだけであ..
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京都探訪118 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓 「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬暗殺の瞬間に迫る」2写真は霊山にある坂本龍馬と中岡慎太郎の墓を2月22日に撮ったものです。その日は霊山歴史館に立ち寄る時間的な余裕はありませんでしたが、今回のNHK番組「歴史秘話ヒストリア 坂本龍馬暗殺の瞬間に迫る」..
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京都探訪117 坂本龍馬避難の材木小屋跡碑・「歴史秘話ヒストリア・龍馬暗殺」1 桂早之助が犯人写真は「坂本龍馬 避難の材木小屋跡碑」 を撮ったものです。龍馬が慶応2年1月25日、寺田屋で襲われた際、逃げ出し、この場所にあった材木小屋に避難しました。 この碑は伏見の大手筋通をずっと西に行き..
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京都探訪114 東寺の金堂・講堂 付記・豊臣秀頼が再興した出雲大社の見取り図・仕様書発見の記事写真は東寺の金堂を一昨日に撮ったものです。拙ブログの昨日記事で触れたように、秀頼が再建したものです。 東寺の小冊子には、「天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築物」だ..
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大西泰正氏「明石掃部の研究」9 掃部の大坂入城が高山右近のそれを代替したとの見方も可能大西泰正氏「明石掃部の研究」には、大坂城に入城した「掃部は、秀頼のもとに参集したキリシタン勢力の中核をなしたと考えられる」と指摘されていますが、この部分の註に海老沢有道氏の「高山右近」(吉川弘文館)..
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連続講演『「のぼうの城」の世界を知る』のお知らせ8月2日から11日までスイスへ旅行していたため、ブログの更新ができませんでした。旅行の内容については、拙ブログで追々紹介していきたいと思いますが、10年ぶりの海外旅行だったので、行く前は不安を感じて..
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古典文学探訪33 「義経記」2 義経妻子・兼房の最期写真は中尊寺金色堂のそばに建っている芭蕉の句碑ですが、「奥の細道」には同行していた弟子の曽良(そら)の平泉で作った句も載っています。「卯の花に兼房見ゆる白毛かな」というものですが、白い卯の花を見てい..