記事「歴史」 の 検索結果 41397 件
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京都紹介・・・京都の様々な歴史を秘めた国指定史跡船岡山平安京造営の際、玄武の山として都設計の拠点となり、それに深くかかわった秦氏がINRIの暗号を秘めた船岡山は平安貴族の遊興の場となるだけでなく処刑場でもあった。応仁の乱ではここに西軍の陣が置かれたり、戦..
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京都紹介・・・堀川通から烏丸通間で今出川通から丸太町通間にある歴史石碑めぐり京都の街はあらゆるところに歴史の痕跡が残されている。それらは石碑としてあるいは看板で示されているところが多い。そういう貴重な石碑を巡ると知らなかった地元の歴史が見えてくる。今回は烏丸通と堀川通間で今出..
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京都紹介・・・冬の菖蒲谷池(角倉光長・光由の造った人工池)嵯峨野直指庵から嵯峨天皇陵にも通じる京見峠を越えると美しい人工池の菖蒲谷池がある。大覚寺から直指庵への道筋にこのことを顕彰する石碑と道標もあり史跡にしてもよい歴史を見せている。寛永年間(1624~44..
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京都紹介・・・「本能寺の変」織田信忠自刃の地ゆかりの大雲院本能寺の変(1582年)で織田信長が本能寺で自刃し、嫡男の信忠も二条新造御所で自刃して果てる。その信忠の菩提を弔うため二条新造御所跡に豊臣秀吉の命で建てられた(1587年)のが信忠の法号を冠する「大雲..
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京都紹介・・・石碑や伝承と墓が好奇心をくすぐる「本能寺の変」織田信長遺体の謎「本能寺の変(1582年)」で織田信長と嫡子信忠が自刃して果て、信長の遺体は見つからなかったとされている。変当時の本能寺は北は六角、南は蛸薬師、東は西洞院、西は油小路に囲まれた寺域を持っており、現在は..
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方広寺大仏殿と大仏殿緑地天正14年(1586)に焼損した東大寺大仏に変わる大仏として、豊臣秀吉は高さ約19メートルの木製金漆塗坐像大仏を方広寺に文禄4年(1595)に大仏殿を建造して完成させた。大仏殿は高さ約49メートル、南..
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「史跡方広寺石塁および石塔」と豊国廟豊臣秀吉の史跡が方広寺周辺に残る。一つは1/11にご紹介した方広寺石垣の石塁で、それと豊国神社西方にある耳(鼻)塚と神社境内南東にある馬塚の二つの石塔が国の史跡に指定されている。豊臣秀吉の朝鮮侵攻「文..
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豊臣秀吉の京都改造事業の一つ、方広寺大仏殿とその石垣豊臣秀吉の京都改造事業はどれをとってもスケールが大きい。天正10年(1582)の本能寺の変後、秀吉は天正11年には柴田勝家を破り大阪城の築城を開始する。そして自らは京都の妙顕寺城に入り、天正14年(1..
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奇岩が多く変化にとんだ「湖南アルプス」鶏冠山から天狗岩、耳岩、狛坂寺跡「北峰縦走」での景観JR草津駅から帝産バスで上桐生まで行き、鶏冠山から天狗岩、耳岩、白石峰、狛坂寺跡(磨崖仏)、南谷林道出合、逆さ不動、オランダ堰堤を経て上桐生に戻るコースを歩いた。山上や尾根からの眺めが素晴らしく、途中..
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京都紹介・・・秀吉が信長葬儀を行った大徳寺総見院総見院は大徳寺22塔頭のうちの一つで、豊臣秀吉が織田信長の一周忌追善のため創建した寺である。本能寺で明智光秀の謀反で自刃した信長の遺体も骨も見つからず、秀吉は信長の木像を二体造り一体を荼毘に付しここに..
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京都の平安時代から室町時代・戦国時代の山城・平城跡めぐり京都には観光的に使われていないのでもったいないといつも思う平安時代から室町時代・戦国時代の城跡がかなりの数残っている。その一部をここでご紹介する。山城跡に登ったり、平城跡へ出かけ、これらの遺構や史跡巡..
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京都の史跡・・・羽束師菱川の菱川城跡伏見区の羽束師菱川町に観音寺がある。この周りは室町時代に菱川城があったと推定されているという。調査に同行する機会があり、周辺を観察するが、教示されるように用水路は堀跡と思われ、土塁の土盛りらしきものも..