記事「歴史」 の 検索結果 41397 件
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京都紹介・・・松尾大社(まつのおたいしゃ)と月読神社(つきよみじんじゃ)8世紀初頭に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が葛野大堰に居住する秦氏一族の氏神として松尾山上にある磐座を麓に勧請して創設したのが松尾大社である。平安京遷都後は賀茂社とともに王城鎮護の神となり、賀茂の厳神..
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京都紹介・・・西京区山田地区にある古墳西京区は松尾大社が葛野大堰地区で活躍した秦氏の氏寺になる。また、この付近の円墳は大半が秦氏の墳墓だと見られている。前方後円墳も見られるが、それらは秦氏が居住する前に支配力を持っていた氏族のものと考えら..
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京都紹介・・・通称小町寺「補陀洛寺」(常寿院跡)と元寺になる静原の山寺「補陀落寺」跡京都の市原に補陀洛寺(通称小町寺)がある。ここの創建は不詳だが、11世紀後半に後冷泉天皇の皇后藤原歓子(ふじわらのかんし;よしこ)が天皇の崩御後隠棲された小野の山荘(後に常寿院を建立)の地だという説も..
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京都紹介・・・左京区岩倉周辺の瓦窯跡や古墳群京都市左京区の岩倉周辺には瓦窯跡や古墳群がかなり残されている。しかし、そこで生活する人々はほとんどそれを知らないだろう。縄文時代、弥生時代の痕跡も残す岩倉地区には古墳群も残されている。また、寺の瓦を焼..
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京都紹介・・・北野天満宮と御土居豊臣秀吉が1591年に京都改造事業の一つとして行った御土居築造工事はわずか数カ月の期間で完成し、御土居の内側を洛中、外側を洛外と呼ぶようになった。京都を囲む約23kmの御土居堀は京都を城郭都市とし、1..
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京都紹介・・・太秦にある秦氏ゆかりの神社と古墳昨日秦氏が建立した広隆寺をご紹介したが、太秦には秦氏ゆかりの神社や古墳が多い。仏教が伝わり寺ができる前は神社が豪族の先祖神の祭祀所だった。また、支配力を示すには古墳の規模が必要だったという。広隆寺の隣..
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京都紹介・・・聖徳太子建立七大寺の一つ、太秦(うずまさ)の「広隆寺」太秦にある広隆寺は嵐電の通りに面し、風情ある京都らしいお寺だと思う。平安京遷都の頃この地に移転したと言い、それまでは蜂岡寺、秦公寺(はたのきみでら)と称し、一説には7世紀初頭の北野廃寺がそれだともいう..
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京都紹介・・・京都市考古資料館で公開中の堀河院跡から出土した土器に書かれた「いろは歌」新聞にも掲載されましたが、現在京都市考古資料館では平安京左京三条二坊・十町(堀川通御池北東周辺)の堀河院邸宅跡と推定される場所から出土した、土器に書かれた「いろは歌」を展示しています。30年前に市埋文..
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戦国武将秘話・・・寺町仏光寺にある乗願寺さんの森本右近太夫の墓寺町仏光寺下ルに乗願寺さんがある。賀茂川の朝散歩で顔見知りになったこのお寺の岩井住職によると、寺はもと五条坊城付近にあり、豊臣秀吉の京都改造で寺町に移ったが、3000坪ほどあった大寺だったという。明治..
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京都紹介…嵯峨清凉寺の「大念仏狂言」京都の三大念仏狂言の一つに嵯峨清凉寺の大念仏狂言がある。ここの狂言と壬生寺、千本ゑんま堂の三つが数えられていて、清凉寺と壬生寺は無言劇で千本ゑんま堂にはセリフがある。神泉苑にも同様の狂言があり、いずれ..
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京都紹介・・・西賀茂角社町にある大将軍神社と瓦窯跡京都に平安宮が造られる時、官衙建築に必要な膨大な量の瓦が必要になった。それらを焼いた場所が、西賀茂や岩倉幡枝、上高野に瓦窯跡として残っている。遺跡発掘でそれらの場所が特定されているが、今はほとんどが住..
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京都景観散歩・・・花脊経塚があった旧花脊峠付近と経塚碑のある花脊別所福田寺(ふくでんじ)旧花脊峠付近に経塚(きょうづか)があり、昭和時代の初め頃、そこから出土した遺物は大部分が重要文化財に指定され、京都国立博物館に保存されている。現在、そこは植林されたためほとんどその痕跡を残していない。..