記事「歴史」 の 検索結果 41398 件
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ブルガリア史の偉人100選:クリメント・オフリツキーさて、ようやくこの百選の中の10番目の人物です。クリメントこそは、キリル兄弟の弟子ながら、実際にブル第1次王国の中に、古ブル語の聖典類を普及させ、ブル人僧侶を多数育成して、独立のブル正教教会の創立..
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ブルガリア史の偉人100選:フェルディナント王さて、偉人百選の第9番目は、今でもブル国民の間で評判が悪いフェルディナント王です。この本の2名の著者は、歴史の偉人の選定基準は、その人物がブル歴史に残した影響の大きさであり、肯定的か否定的かでの評..
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ブルガリア史の偉人100選:アレコ・コンスタンティーノフ前回のイヴァン・ヴァーゾフに引き続き、新生ブルガリアで作家として有名となったアレコ・コンスタンティーノフが、第8番目の偉人です。ブル人は、外国人相手にブルの素晴らしさを威張り散らす表の顔と、自虐ネ..
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ブルガリア史の偉人100選:イヴァン・ヴァーゾフブル史の偉人百選の7番目は、イヴァン・ヴァーゾフです。 小生自身は、ブル作家の著作をほとんど読まなかったので、作品内容に関してはコメント不可能ですが、オスマン帝国からの解放前夜と、解放後の双..
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ブルガリア史の偉人100選:シメオン大王ブル史の偉人百選の6番目です。 普通は、シメオンは、第1次ブル王国時に、ブルガリアとしての最大版図(黒海--アドリア海--エーゲ海へと3つの海に到達する大領土)を実現した「大王」として有..
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ブルガリア史の偉人100選:パイシー・ヒレンダールスキさて、ブル史の偉人の第5番目を下記にご紹介する。 パイシーという下級の修道僧だが、この人物は、アトス聖山内の、セルビア系の修道院で修業しているとき、同僚のセルビア人僧侶たちから「ブル人」とい..
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ブルガリア史の偉人100選:ヴァシール・レーフスキブルの偉人百選シリーズの4人目です。レーフスキが絞首刑となったソフィア市内のところには、レの銅像がある(Bul. V.LevskiとSt.Moskovskaの交差点)。ここから少し南へ行けば、国立..
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ブルガリア史の偉人100選:キリルとメトディウス今回も、偉人百選の続きです。聖書をギリシャ語から古ブル語に翻訳し、スラヴ人世界へのキリスト教布教の先駆けとなり、かつ、後世のスラヴ文化、ロシア文学の基礎をも築いた兄弟です。 この兄弟につ..
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ブルガリア史の偉人100選:アスパルーフ汗、ボリス1世さて、小生はブルガリア滞在期に購入した本、『ブルガリア史の偉人100選:100-te nay vliyatelni bqlgari v nashata istoriya』(著者:Andrey Pa..
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従軍慰安婦部隊の本物は、韓国軍が設置していた!慰安婦問題に関しては、国際的な反日宣伝に一番利用できると見て、韓国官民が「慰安婦像」という、少女の像を北米の公園、その他で、目立つところに建設しようと画策しており、この歪曲史観の押し付けに日本国民..
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ルクレティウスの詩文が、近代を開幕した『1417年、その一冊がすべてを変えた』(河野純治訳、柏書房、2012年10月発行。原作名『The Swerve:How the World Became Modern』、著者:Stephen Gr..
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ヒトラーは、何故ソ連に侵攻したのか?第二次大戦における一つの大きな謎であった、「何故ヒトラーが、不可侵条約を締結していたソ連への侵攻作戦という、二正面作戦を採ったのか?」という謎に対する回答が、実は、英国に冷戦期に亡命した元GRU職員..