記事「永井荷風」 の 検索結果 157 件
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【西条昇メディア掲載情報】今日発売の週刊朝日にコメント掲載と資料提供今日16日発売の週刊朝日の「裏昭和史探検」の「フランス座」についての回で、3月に僕が主催した「フランス座を語る会」のことが紹介され、ストリップ70周年とフランス座についての西条のコメントが掲載されてい..
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【西条昇の浅草食べ歩き】浅草の尾張屋本店の天ぷらそば今日のモヤさまの浅草周辺編で、尾張屋本店の天ぷらそばや上天丼が紹介されてたね。 TV的にも、この海老天2本はインパクトがあるからなあ。 モヤモヤというよりは王道な感じ。 晩年に連日通った..
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【西条昇の浅草ご朱印帳】三ノ輪の浄閑寺新吉原総霊塔のある「投げ込み寺」こと三ノ輪の浄閑寺のご朱印。 「生まれては苦界 死しては浄閑寺」。
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【西条昇の浅草吉原歴史散歩】吉原花魁供養会ツアー⑦三ノ輪の「投げ込み寺」浄閑寺へ吉原花魁供養会ツアー、吉原から三ノ輪まで歩いて「投げ込み寺」と言われた浄閑寺へ。 参加者一同で、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」と刻まれた花魁の総霊搭に新しく卒塔婆を立てて供養を。 また、浄閑..
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【西条昇の往年の浅草写真と同じ場所の現在をほぼ同じ角度から撮ってみたシリーズ2】観音裏の宮戸座の絵葉書と現在の宮戸座跡明治43年(1910)8月の大洪水の際の浅草観音裏の宮戸座の前の絵葉書と、平成28年(2016)元旦の宮戸座跡の前。 そば処の「弁天」の斜め向かいにあり、現在は料亭「婦志多」になっている。 宮戸座..
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【西条昇の浅草文学散歩&食べ歩き】浅草・梅園のあわぜんざい昨日は浅草・花やしき座での浅草鮪組公演でマグロのいろいろな部位を食べまくった後、仲見世の横にある甘味処の梅園で、名物のあわぜんざいを。 梅園の創業は安政元年(1854)。浅草寺の別院の梅園院の一隅に..
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【西条昇の浅草文学散歩&食べ歩き】荷風が浅草の「天健」を好んだ理由浅草の伝法院通りから浅草六区通りに入る五差路の角にある天健で、かき揚げ丼を。 プリプリした海老やイカをサクッと揚げた分厚いかき揚げに、甘じょっぱいタレがかかった江戸前天丼である。 天健と書いて「て..
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【西条昇の浅草レヴュー・コレクション】昭和8年の浅草オペラ館「ヤパン・モカル」のプログラムNo.45手元にある昭和8年(1933)12月の浅草・オペラ館のレヴュー劇団「ヤパン・モカル」のプログラムNo.45。 連名を見ると、田谷力三の座長格は以前と変わらず。 作家の高見順が夢中になった元カジノ・..
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【西条昇の文学散歩】永井荷風・原作の外波山文明ひとり芝居「四畳半襖の下張り」新宿三丁目に新しく出来た小劇場「Space梟門」で、椿組プロデュース番外篇の外波山文明ひとり芝居「四畳半襖の下張り」を観てきた。 「四畳半襖の下張り」と言えば、永井荷風の作と伝えられる小説である。 ..
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【西条昇の浅草文学散歩&食べ歩き】永井荷風と浅草・尾張屋のかしわ南蛮そば晩年の永井荷風が贔屓にした店と言えば、蕎麦の尾張屋本店と洋食のアリゾナキッチンの2店を挙げる人が多いだろう。 連日のように、尾張屋ではかしわ南蛮そばを、アリゾナキッチンではチキンレバークレオールを食..
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【西条昇の浅草文学散歩&食べ歩き】浅草のどぜうの飯田橋でなまず鍋を荷風も高見順も愛した浅草のどぜうの飯田屋で、冬場限定のなまず鍋を。 捌かれて間もないなまずは、鍋の中でピクピクと動いたりする。 味としては、あんこうや鱈に近いかもしれない。 高見順の「如何なる星..
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【西条昇の浅草レヴュー・コレクション】浅草オペラ館の昭和7年「ヤパン・モカル」のプログラムNo.9手元にある浅草オペラ館の昭和7年の「ヤパン・モカル」のプログラムNo.9。 この公演から浅草オペラ全盛期の大スターであった田谷力三が座長格で迎えられ、昭和11年までオペラ館で活躍することになる。 ..