記事「江戸城」 の 検索結果 229 件
-
中之門跡(江戸城)江戸城の中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口を作り、 百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていました。 中之門石垣は江戸城の中でも最大級の巨石(35t前後..
-
百人番所江戸城の大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、大手三 の門を守衛し本丸御殿最大の検問所であった長さ50mを超える百人番所。 同心が常時百人詰めていたので百人番所と呼ばれるようになったそう..
-
大番所番所とは警備の詰所のことで、大番所は大手中之門の内側に設けられ、他 の番所よりも位の高い与力・同心により警備されていたといわれています。 本丸への最後の番所であり、警備上の役割はきわめて重要だったそう..
-
松の大廊下跡元禄14年(1701年)3月14日、勅使の接待役(勅使饗応役)であった浅野内匠頭がここで吉良上野介に 斬りかかり、あの有名な忠臣蔵の物語が始まりました。皇居東御苑内に碑がたてられています。
-
平川門江戸城の当時の高麗門、渡櫓門、木橋がそのまま残っている門。当時は江戸城三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口であり、また、奥女中の通用門として「お局御門」とも云われていたそうで..
-
帯曲輪門(不浄門)不浄門は江戸時代、大名・旗本などの屋敷の練り塀に設けられた戸板一 枚程のくぐり門で、糞尿汲み取り人や死者・罪人などを出入りさせる門のこと。 江戸城では平川門の脇にある小さな門、帯曲輪門が不浄門とされて..
-
太田道灌公追慕之碑江戸城は扇谷上杉氏の家臣であった太田道灌により長禄元年(1457年) に築城されました。この石碑は江戸城築城者の太田道灌を偲び、太田道灌の没後450年にあたる昭和11年(1936年)に建立されました。..
-
日比谷見付跡見附というのは、おもに城の外郭に設けられた城門のこと。日比谷見附跡は江戸城を囲む「江戸城36見附」の一つの日比谷御門があったところです。 現在は、日比谷公園の北東側角(有楽門)から入ったところに石垣が..
-
数寄屋橋碑数寄屋橋は寛永6年(1629年)に江戸城外濠に架けられた橋で、 昭和4年(1929年)に石造りの二連アーチ橋に架け替えられました。 その後、取り壊されて現存はしていませんが、地名が残されています。
-
虎ノ門記念碑東京都港区虎ノ門の虎ノ門交差点の北東角に「虎ノ門記念碑」があります。 「虎ノ門」とは江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点附近)にあった門の名前で、明治6年(1873年)に門が撤去された後も、近隣地域の地名..
-
桜田濠江戸城の内堀の一つで半蔵門から桜田門までのお濠。この濠を掘った土で日比谷の入り江が埋め立てられて大名屋敷が造られていったとのことです。この濠 沿いには国立劇場、最高裁判所、憲政記念館、警視庁などが並ん..
-
半蔵門江戸城(現在の皇居)の大手門とは正反対の位置にある門。 半蔵門の名称については、この門の警固を担当した徳川家の家来、服部正成・正就父子の通称「半蔵」に由来するのが定説とのことです。