記事「江戸」 の 検索結果 1567 件
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あのけなじ2022年07月18日のつぶやき「江戸で部屋さがし」菊地 ひと美 これは良かった。読んでタメになった指数でいえば今年一番かも。江戸の街の暮らしについて時代劇の画のぼんやり印象から読後、町人、武家、階級の違いなどで実際はこうなの..
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長崎でコーヒーを飲む大田南畝寛政六年が明けた頃、江戸の町にある屋敷の一角で、版元の蔦屋重三郎から注文のあった、歌舞伎役者の大首絵二十八枚の下絵描きに、東洲斎写楽が呻吟していた、正に、その頃、当時としては、もう「初老」と言って..
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忙中閑談「俳句四季」八月号の「忙中閑談」という欄に、1400字ほどのエッセイを書いた。 どんなことを書いたかというと、江戸時代の女流俳人たちについて。 二年ほど前にまとめて調べることがあって..
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江戸時代から現代までの日本の女流俳人1ヶ月以上かかってしまったけれど、江戸時代から現代までの日本の女流俳人の論考?がようやく最終段階に入った。(え、まだ終わってなかったの?なんて言わないでね・・・) 来月のハノイでの俳句懇談会..
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女流俳句江戸から現代までの女流俳句について、ようやく書き終わった。400字詰め原稿用紙にして約20枚。一応、指定された分量は書くことができた。 その中にいったい何人の女流が登場したかというと、今、数..
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奥底も知れぬ寒さや海の音江戸時代の女流俳人の一人に歌川(かせん)がいる。上の句は、その彼女の作品。 歌川は、当時、北前船でおおいに賑わっていた北陸、三国の遊女。加賀の千代女とほぼ同時代の女流として名前が知られていた..
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江戸時代の女流俳人江戸時代の女流俳人について調べている。本来調べることになっているのは、現代までの女流俳人全般についてだが、明治から現代についてはおおよそ調べがついているので、これまでほとんど知ることのなかった江戸時..
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縄文人は渦巻が好み江戸の飴売りたちが、どうして皆一様に「渦巻」紋様の看板を掲げて町中を歩いていたのか、その理由は不明だが、古代の縄文時代から、渦巻紋様は意匠として用いられていた。 山梨県立博物館が収蔵している、縄文中..
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渦巻は飴売りの看板喜多川守貞という人が十九世紀中ごろに編纂した『守貞謾稿』という書物によれば、当時の江戸には多くの飴売りが競い合うように居たらしいが、その中でも人気のあった飴屋の一つが「下り飴売り」。 もともと京都・..
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鬼平犯科帳はやっぱり面白い池波正太郎の鬼平は情があり、見終わった後に心地よい余韻が残ります。 小説も好きですが、それを見事に映像にしているのも見事です。 長谷川平蔵を鬼だけではなく、仏にも見せる表現に池波正太郎の奥..
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2008.11.03 千葉道場 玄武館岩本町下車。懐かしい場所である。今から四半世紀前に、大学4年であった私はこの地に本社がある製パンメーカーの訪問のため何度も足を運んでいた(ちゃんと入社しました)。 交番の近くの小学校跡の門中..
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2008.11.02 江戸城組合から離れ単独行動である。東京駅丸の内側から、皇居(江戸城)へ向かう。最近知った江戸城天守台を目指す。江戸城イコール皇居と簡単に考えがちであるが、江戸城本丸があった場所は今の「皇居東御苑」である。..