記事「神奈川」 の 検索結果 12132 件
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東勝寺跡東勝寺はかつて鎌倉市葛西ケ谷にあったお寺で、北条氏の菩提寺であると同時に城塞の意味をもった寺院であったと推測されているそうです。鎌倉幕府滅亡時には、北条高時ら北条氏一門多数が自刃したところです。
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腹切りやぐら鎌倉幕府は元弘3年(1333年)、新田義貞による鎌倉攻めにより滅亡。北条一族とその家臣約800名は東勝寺に追い詰められて自害したとのことです。東勝寺跡の近くに当時の戦死者を弔ったと伝わる腹切りやぐらが..
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新羅三郎手玉石新羅三郎は源頼義の三男、源義家の弟で、近江国の新羅明神(大津三井寺新羅善神堂)で元服したことから新羅三郎と称したとのこと。新羅三郎が勧請した鎌倉の八雲神社に「新羅三郎手玉石」なる石があります。
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八雲神社鎌倉の大町にある1083年創建の鎌倉最古と云われている厄除け神社。源義家の弟・源義光が京都の祇園社から祭神を分霊して祀り祈願したところ、疫病が鎮まり、厄除け開運の神社として知られるようになったとのこと..
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源実朝公御首塚源実朝公の御首塚が秦野市の田原ふるさと公園のすぐ近くにあります。 鎌倉で暗殺された源実朝公の御首は行方不明となりましたが、その後発見され、ここに埋葬されたとのことです。
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源義経首洗井源義経は文治5年(1189年)、奥州平泉衣川高舘で自害し、その首は鎌倉に送られて腰越の浦で首実検されたとのことです。その後、その首は浜に捨てられ、ここに流れ着き、里人がこの井戸で洗い清めたと伝わってい..
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源義経首塚腰越で首実検されたあと浜に捨てられた源義経の首級は土地の里人に手厚く葬られ、首塚がつくられたとのことです。その塚は現在ではなくなり、 首洗い井戸の傍らに石碑のみが残されています。
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江ノ島弁財天道標遊行寺橋は此の地点から江の島までの約1里(4km)を結ぶ江の島道の起点。 明治初期まではこの橋の袂に江の島道の入口を示す江島神社の一の鳥居と呼ばれた大きな鳥居があり、鳥居の脇には道標が立てられていたそ..
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江戸見附跡(藤沢宿)旧東海道(現県道30号線)遊行寺の傍に藤沢宿の江戸見附がありまし た。見附とは宿場の出入り口のことで、江戸見附は江戸に近い方の見附 のこと。東海道を下ってきた旅人は、ここから藤沢宿へと入っていきました..
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一里塚跡(遊行寺坂)日本橋から数えて12番目の一里塚の跡で、藤沢市大鋸の旧東海道、遊行寺坂の途中にあります。遊行寺坂は当時は道場坂と呼ばれていた可なりな急勾配の坂で、その坂の頂上に一里塚があり榎が3本植えられていたそうで..
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戸塚宿上方見附跡横浜市戸塚区の富塚八幡宮から西に200m程のところに碑があります。見付は主要な街道の宿場の出入り口にある構造物で、一般に江戸側の出入り口にある方を江戸見付、京側にある方を上方見付と呼んでいました。
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冨塚八幡宮源頼義・義家父子が奥州下向の際に、この地で応神天皇及び富属彦命の神託を授って戦功を収めたため、延久4年(1072年)に、両祭神をこの地に勧請したとのことです。また、境内山頂にある「富塚」が、「戸塚」の..