記事「神奈川」 の 検索結果 12131 件
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北条氏政・氏照の墓北条氏政は後北条氏の第4代領主。氏照はその弟で八王子城主。 天正18年(1590年)、豊臣氏による小田原攻めにより小田原城が落城。 自刃した両人の遺体はこの地にあった伝心庵に埋葬されたとのことです。
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二宮金治郎像(小田原駅)二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家で、通称は金治郎(金次郎と表記されることが多いとのこと)。 相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市栢山)に百姓二宮利右衛門の長男として生まれ、小田原では郷..
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段葛鎌倉の若宮大路の真ん中を通る一段高くなっている歩行者用の道。かつて は八幡宮から由比ヶ浜まで通っていた軍用道路だったそうですが、現在は 二の鳥居から三の鳥居までが残されて整備されています。
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大石段鎌倉の鶴岡八幡宮本宮とその下にある舞殿を結ぶ61段ある石段。建保7年 (1219年)1月27日、雪の中で三代将軍源実朝が暗殺された現場です。傍 らに立っていた隠れ銀杏は、平成22年(2010年)に倒壊..
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舞殿鶴岡八幡宮の大石段の下にあるのが舞殿で、下拝殿とも呼ばれています。 その昔、源義経の愛妾静御前が義経を慕った舞を舞った舞台と云われていて、 毎年4月の鎌倉まつりでは「静の舞」がここで奉納されています。..
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今宮鶴岡八幡宮の北に鎮座する神社で、隠岐島へ配流された後鳥羽天皇の 御霊を宥めるために、宝治元年(1247年)に建立されたとのことです。 ご祭神は承久の乱で配流された、後鳥羽、土御門、順徳の3天皇です。
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北条時頼廟鎌倉のあじさい寺として知られる明月院境内にある北条時頼の廟所。北条時頼は別邸に持仏堂を造営して最明寺と名付け、それが後に禅興寺と改名され、その禅興寺の塔頭の一つが明月院だったそうです。
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北条時頼墓鎌倉の明月院境内にある北条時頼の墓と伝わる宝篋印塔。 北条時頼は鎌倉幕府第5代執権を務め、また8代執権北条時宗の父でありました。そして、 出家後は最明寺殿、最明寺入道とも呼ばれていました。
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佛日庵円覚寺の開基である北条時宗の廟所で、開基廟とも呼ばれています。 北条時宗は二度にわたる蒙古襲来という国難を退けましたが、その死後、 このお堂の下に遺体が安置され、ここを廟所としたと伝えられています。
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六地蔵和田塚から鎌倉駅方面に向かう途中の「六地蔵」交差点にある六体のお地蔵さま。 その昔、罪人は問注所で判決を受け、裁許橋を渡ってこの付近にあった刑場で処刑されたそうですが、その霊を慰めるために祀られたそう..
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主馬盛久頸座主馬盛久は平家の武将でしたが壇ノ浦で平家が滅びた後、京で捕えられました。その後、鎌倉へ送られてきて、この地で処刑されそうになりましたが、その寸前に役人の刀が折れて許されたと伝わっています。
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御霊神社(坂ノ下)鎌倉権五郎景政を主祭神とし、鎌倉権五郎神社の通称で知られている鎌倉市坂ノ下に鎮座する神社。 元々は、鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社ということから五霊神社、それが転じて御霊..