記事「神奈川」 の 検索結果 12131 件
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馬喰橋藤沢市片瀬を流れる境川沿いの小路に架かる小さな橋。源頼朝が片瀬川に馬の鞍を架けて橋の代わりにしたことから馬鞍橋、また昔、馬がこの橋にさしかかると、突然死んでしまうことから馬殺橋と呼ばれた、と伝わってい..
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旧小池邸柄沢村の名主であった小池家の邸宅を藤沢市の新林公園に移築したもの。 天保12年(1841年)に建てられたものですが、昭和58年(1983年)に当地に移築復元され、藤沢市指定重要文化財(建造物)になって..
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旧福原家長屋門藤沢市川名にある新林公園に移築されている旧福原家の長屋門。この長屋 門は江戸時代後半の建築当初の状態を良く残していることから当地に移築復元され、藤沢市指定重要文化財(建造物)になっています。
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徳川家康陣地跡天正18年(1590年)の小田原戦役の際、徳川家康は豊臣方の先鋒として約3万人の兵を率いて出陣し、小田原城の東方のこの地に本陣を置きました。北条氏が降伏するまでの凡そ110日間滞留していたといわれます..
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旗上弁財天社鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある源氏池の中島に祀られている神社。寿永元年(1182年)、北条政子が弁財天社を祀ったのが始まりとされ、承久の乱では鎌倉幕府軍がこの地で戦勝を祈願したと伝わっています。
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宮本武蔵佩刀秦野市の鶴巻温泉にある陣屋旅館所蔵の刀剣。宮本武蔵に縁の深い九州の細川家上士として仕えた寺尾家伝来の刀で、脇差の銘文には「新免武蔵之介帯之」と刻まれているとのことです。
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浦賀燈明堂江戸時代に現在の横須賀市の浦賀港入り口の燈明崎の先端に築造された和式灯台で、ペリー艦隊の来航時には艦隊の航行の目安ともなったそうです。観音埼灯台の完成により役割を終え、明治5年(1872年)に廃止され..
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船番所跡陸軍桟橋の前の駐車場が浦賀奉行所の出先機関の船番所のあった場所。番所では江戸へ出入りする船の荷改めを行いましたが、それは江戸中の経済を動かすほどの重要なもので、その業務は昼夜を通じて行われていたそうで..
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寸沢嵐首洗池永緑12年10月8日の三増合戦のあと、武田信玄はこの地において戦勝の儀を執り行い、討ち取った3269首の首実検を行ったとのことです。それら首をこの池で洗ったと云うことで「首洗池」と呼ばれています。
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浅利明神永禄12年(1569年)10月の三増合戦の際、武田家の武将、浅利信種は小田原方北条綱成配下の放った銃弾を受け、この丘の下で戦死しました。信玄は信種の墓をつくって供養し、その後村人が浅利明神としたそうで..
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首塚(三増古戦場)永禄12年(1569年)の三増合戦の後、戦死者の首を葬ったといわれるのがこの首塚。宝永3年(1706年)に建てられた碑には、当時この辺に戦死者の幽霊が出没するので、念仏を供養したと刻んであるそうです。..
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旗立て松(三増古戦場)愛甲郡のゴルフ場、東名厚木カントリー倶楽部の中にある「旗立て松」の跡。旗立て松は永禄12年(1569年)年10月6日の武田信玄と北条軍との三増峠の戦いで、武田信玄が大将旗を立てたと伝えられている松です..