記事「神奈川」 の 検索結果 11987 件
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日枝神社(中井町)足柄上郡中井町井ノ口に鎮座する神社で、御祭神は大山咋命。この付近は、 永禄12年(1569年)に小田原攻めを行った武田軍が退却する際に北条軍 の追撃を受けた戦場、また早雲と三浦一族との戦場にもなった所..
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常実坊足柄上郡山北町にある洒水の滝は、鎌倉時代に文覚上人が百日間の 荒行を積んだとところと云われていて、この「洒水の滝不動尊常実坊」の 不動明王は、修行中の文覚上人が安置したと伝わっています。
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洒水の滝足柄上郡山北町にある三段からなる滝で、一の滝は69m、二の滝は16m、 三の滝は29mの落差をもち、古来より相模国の最大と言われている滝。日本の滝百選・ 「かながわの景勝50選」・「かながわ未来遺産1..
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佐久間象山碑佐久間象山は江戸時代後期の思想家で横浜開港の恩人。 日本の開港にあたって象山は当初から横浜の開港を推奨しましたが、 日米修好通商条約で、象山の熱望通り横浜港が開港しました。
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太田道灌屋敷跡(横浜)現在の横浜市立太田小学校が、太田道灌の屋敷跡といわれています。 新編武蔵国風土記稿にその記述があるそうで、小学校の校名も太田 道灌に由来しているようです。
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四万坂古戦場大和市深見にある古戦場。扇谷上杉氏の武将太田道灌の軍勢と、それを 迎え撃つ深見城の軍勢が、この島津北部で戦ったとのこと。四万坂という 名称は、両軍あわせて四万の兵が戦った場所との云い伝えからだそうです..
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深見城跡境川沿いの台地上にある大和市内で最も保存状態の良い中世の城跡。築城、 廃城期は不明ですが、16世紀、戦国時代の築城らしいとのことです。城主につ いては隣接する瀬谷の領主山田伊賀守経光などの説があるそう..
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新田義貞像(大和市)大和市下鶴間、下鶴間宿跡の大山阿夫利神社御分霊社の境内にある 新田義貞公の像。この地は南北に八王子道(滝山道)が通り、元弘3年 (1333年)の鎌倉攻めの際、新田義貞軍がこの地を通過したとのことです。..
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下鶴間宿跡相模国高座郡下鶴間村(現・大和市下鶴間)にあった、大山道(矢倉沢往還) の宿場。八王子道(滝山道)と交差する場所に位置し、八王子道の継立も行 なっていたことから、交通の要所として栄えていました。
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淵辺義博館跡淵辺義博は現在の相模原市中央区淵野辺周辺の地頭。中先代の乱の際、 足利直義が鎌倉を放棄するにあたり、鎌倉の東光寺に幽閉されていた 護良親王の殺害を命じたのが淵辺義博で、義博は親王を土牢の中で殺害しまし..
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枡形城跡建久年間に稲毛三郎重成により築城されたと伝わる城。稲毛三郎重成の 妻は源頼朝の正室である北条政子の妹。戦国時代以降は廃城となり、現在は公園として整備されています。
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稲毛重成墓川崎市多摩区の広福寺にある稲毛重成の墓。重成の正室は源頼朝の正室である政子の妹。その妻の死後、建久9年(1198年)に、重成は亡き妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に頼朝も出席しました。