記事「神奈川」 の 検索結果 11987 件
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首塚(三増古戦場)永禄12年(1569年)の三増合戦の後、戦死者の首を葬ったといわれるのがこの首塚。宝永3年(1706年)に建てられた碑には、当時この辺に戦死者の幽霊が出没するので、念仏を供養したと刻んであるそうです。..
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旗立て松(三増古戦場)愛甲郡のゴルフ場、東名厚木カントリー倶楽部の中にある「旗立て松」の跡。旗立て松は永禄12年(1569年)年10月6日の武田信玄と北条軍との三増峠の戦いで、武田信玄が大将旗を立てたと伝えられている松です..
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志田南遺跡平成10年(1998年)、三増合戦の主戦場であったこの付近で人骨および六道銭が発見されましたが、北条氏の家臣・間宮善十郎の墓だという説もあり、三増合戦碑の傍らに埋葬することにしたそうです。
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三増合戦場跡三増合戦は永禄12年(1569年)10月8日に、小田原城を攻撃後に甲斐に退却する途中の武田信玄を、北条氏が追撃した時に生じた合戦。高低差が大きく作用した戦国最大規模の山岳戦として知られています。
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横穴古墳跡横浜市瀬谷区の長天寺の北側に隣接したところで、明治39年(1906年)、人骨3体、直刀及び鍔3点、金環2点、琥珀の璽玉3個、鉄轡1個が発掘され、飛鳥・白鳳時代(604~708年)頃の相当高貴な人の墳墓..
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諏訪社横浜市瀬谷区に鎮座し建御名方神をご祭神とする神社。源頼朝は治承4年(1180年)10月6日に鎌倉入りをしますが、その前夜、世野郷(瀬谷郷)相辺沢のこの諏訪社に一泊したと伝わっています。
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江戸見附跡(藤沢宿)旧東海道(現県道30号線)遊行寺の傍に藤沢宿の江戸見付がありました。見付とは宿場の出入り口のことで、江戸見付は江戸に近い方の見附のこと。東海道を下ってきた旅人は、ここから藤沢宿へと入っていきました。
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京見付跡(藤沢宿)旧東海道(現県道43号線)、藤沢本町駅近くにある藤沢宿の京見付跡。見附は宿場の入口に設けられた見張所で、有事の際には関所としても機能し、石垣の土居を築き榎が植えてあったようです。
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光照寺鎌倉市山ノ内にある時宗のお寺。時宗の開祖一遍が鎌倉入りの際に巨福呂坂を守る武士に鎌倉入りを止めらたそうです。それで、やむを得ず行く先を江ノ島にする途中、野宿したところが現在の光照寺であると言い伝えられ..
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木曽義高墓木曽義仲の長男の木曽義高は義仲から源頼朝のもとへ人質として送られていました。しかし義仲と敵対した頼朝は義高を殺害。墓は鎌倉市大船の常楽寺の裏山にあり、木曽塚とも呼ばれています。
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北条泰時墓鎌倉市大船の常楽寺の境内にある鎌倉幕府第3代執権北条泰時の墓。北条泰時は鎌倉幕府第2代執権・北条義時の長男で、鎌倉幕府北条家の中興の祖として、御成敗式目を制定したことで有名です。
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土肥の大杉跡足柄下郡湯河原町鍛冶屋(地名)、大観山近くの山中にある杉の巨木の跡。石橋山の合戦で敗れた源頼朝以下7名が平家の追っ手から逃れるために大杉の空洞に隠れ、発見した梶原景時が頼朝を見逃したと伝わる場所。