記事「神奈川」 の 検索結果 12040 件
-
新田義貞像(大和市)大和市下鶴間、下鶴間宿跡の大山阿夫利神社御分霊社の境内にある 新田義貞公の像。この地は南北に八王子道(滝山道)が通り、元弘3年 (1333年)の鎌倉攻めの際、新田義貞軍がこの地を通過したとのことです。..
-
下鶴間宿跡相模国高座郡下鶴間村(現・大和市下鶴間)にあった、大山道(矢倉沢往還) の宿場。八王子道(滝山道)と交差する場所に位置し、八王子道の継立も行 なっていたことから、交通の要所として栄えていました。
-
淵辺義博館跡淵辺義博は現在の相模原市中央区淵野辺周辺の地頭。中先代の乱の際、 足利直義が鎌倉を放棄するにあたり、鎌倉の東光寺に幽閉されていた 護良親王の殺害を命じたのが淵辺義博で、義博は親王を土牢の中で殺害しまし..
-
枡形城跡建久年間に稲毛三郎重成により築城されたと伝わる城。稲毛三郎重成の 妻は源頼朝の正室である北条政子の妹。戦国時代以降は廃城となり、現在は公園として整備されています。
-
稲毛重成墓川崎市多摩区の広福寺にある稲毛重成の墓。重成の正室は源頼朝の正室である政子の妹。その妻の死後、建久9年(1198年)に、重成は亡き妻のために相模川に橋をかけ、その橋の落成供養に頼朝も出席しました。
-
廣福寺川崎市多摩区枡形の枡形城址の北側のふもとにあるお寺。廣福寺の寺地は、 源頼朝の有力御家人の一人であった稲毛三郎重成の館跡ともいわれており、 観音堂の裏には重成の墓といわれている五輪塔が伝えられています..
-
茅ヶ崎城址横浜市都筑区にある中世の城郭跡。正確な築城年代は不明ですが、後北条氏による築城だろうとのことです。現在は、茅ヶ崎城址公園として整備されていて、横浜市指定史跡となっています。
-
梵鐘(相模国分寺)海老名市の国分寺にある重要文化財に指定されている梵鐘。海老名氏の一族である国分季頼(源季頼)が正応5年(1292年)に国分尼寺に寄進したもの で、作者は円覚寺や称名寺等の梵鐘を手がけた名工・物部国光と..
-
相模国分寺跡天平13年(741年)、聖武天皇の詔により全国に国分寺が造られましたが、 相模国分寺もその一つで、主要伽藍配置は法隆寺と同じだそうです。大正10年(1921年)に、全国の国分寺跡としては初の史跡に指定..
-
逆川跡逆川は相模国分寺建立の資材を運ぶためにつくられた、目久尻川から水を引いた運河で あったと考えられています。国分付近では南から北へ、目久尻川流域でも低地である南から台地上の北へ流れていたことから「逆川」..
-
小机城址永享の乱の頃、関東管領上杉氏によって築城されたとされる城。文明10年 (1478年)に、太田道灌がこの城を攻めて落城させています。豊臣秀吉によ る小田原征伐の際には、無傷のまま落城したそうです。
-
矢畑・腰し巻き畠山重忠軍と北条軍が戦った二俣川合戦の激戦地とされるところ。 北条勢の射た矢が地面に突き刺さり、まるで矢の畑のようだった、あるいは、 畠山勢の周りを腰巻のように取り巻いて刺さったことからの名称とのこと..